月五星凌犯及星変
- 隋の大業十三年(617年)六月、鎮星が異常に明るく参宿に留まった(参は唐の星)。李淳風は「鎮星は福を主る星で、留まるべきでない所に留まれば、その宿にあたる国に吉事がある」と述べた。
- 義寧二年(618年)三月丙午、熒惑が東井に入った(占いは「大人の憂い」)。
- 武德元年(618年)五月庚午、太白が昼に見えた(占いは「兵が起こり臣が強くなる」)。六月丙子、熒惑が右執法を犯した(執法は大臣の象)。二年七月戊寅、月が牽牛を犯した(月が列宿を犯せばその宿の地に憂いがある。牽牛は呉・越の分野)。九月庚寅、太白が昼に見えた。冬、熒惑が五諸侯を守った。六年七月癸卯、熒惑が輿鬼の西南星を犯した(占いは「大臣に誅がある」)。七年六月、熒惑が右執法を犯した。七月戊寅、歳星が畢を犯した(占いは「辺境に兵がある」)。八年九月癸丑、熒惑が太微に入った(太微は天廷)。冬、太白が南斗に入った(斗は爵禄を主る)。九年五月、太白が昼に見え、六月丁巳・己未も昼に太陽を横切って現れた(秦の分野)。丙寅、月が氐を犯した(氐は天子の宿宮)。己卯・七月辛亥・甲寅・八月丁巳も太白が昼に見えた(太白は上公。昼に太陽を横切るのは陰が陽に乗る象)。
- 貞観三年(629年)三月丁丑、歳星が逆行して氐に入った(占いは「人君が宮室を過度に営む」、一説に「饑」)。五年五月庚申、鎮星が鍵閉を犯した(占いは腹心・喉舌の臣にあたる)。九年四月丙午、熒惑が軒轅を犯し、十年四月癸酉に再び犯した(占いは「熒惑は礼を主り、礼を失えば罰が現れる」。軒轅は後宮)。十一年二月癸未、熒惑が輿鬼に入った(占いは「賊が大人の側にある」)。十二年六月辛卯、熒惑が東井に入った(占いは「旱」)。十三年五月乙巳、右執法を犯した。六月、太白が東井の北轅を犯した(井は京師の分野)。十四年十一月壬午、月が太微に入った(占いは「君安からず」)。十五年二月、熒惑が逆行して太微東上相を犯した。十六年五月、太白が畢の左股を犯し(畢は辺将にあたる)、六月戊戌昼に見えた。九月己未、熒惑が太微西上将を犯し、十月丙戌太微に入って左執法を犯した(熒惑は常に十月に太微に入り制を受けて出る。守犯するところは天子が誅すべき者を示す。鍵閉は腹心喉舌の臣、鉤鈐は天心を開閉する星でいずれも貴臣の象)。十七年二月、鍵閉を犯し、三月丁巳、心の前星を守り、癸酉逆行して鉤鈐を犯した。十八年十一月乙未、月が鉤鈐を掩った。十九年七月壬午、太白が太微に入り、この夜月が南斗を掩い、太白がついに左執法を犯し光芒が箕・斗の間に及んだ(漢津は高麗の地。太白は兵にして罰星でもある)。二十年七月丁未、歳星が東壁を守った(占いは「五穀が水害を受ける」)。二十一年四月戊寅、月が熒惑を犯した(占いは「貴臣が死ぬ」)。十二月丁丑、月が昴を食した(占いは「天子が匈奴を破る」)。二十二年五月丁亥、右執法を犯した。七月、太白が昼に見えた。乙巳、鎮星が東井を守った(占いは「旱」)。閏十二月辛巳、太白が建星を犯した(占いは「大臣が互いに讒言する」)。
- 永徽元年(650年)二月己丑、熒惑が東井を犯した(占いは「旱」)。四月己巳、月が五諸侯を犯し、熒惑が輿鬼を犯した(占いは「諸侯に凶事」)。五月己未、太白が昼に見えた。二年六月己丑、太白が太微に入り右執法を犯し、九月甲午心の前星を犯した。十二月乙未、太白が昼に見えた。三年正月壬戌、牽牛を犯した(牽牛は将軍の星、また呉・越の分野)。丁亥、歳星が太微上将を掩った。二月己丑、熒惑が五諸侯を犯し、五月戊子右執法を掩った。四年六月己丑、太白が昼に見えた。六年七月乙亥、歳星が尾を守った(占いは「人主が嬪を后とする」)。己丑、熒惑が輿鬼に入り、八月丁卯軒轅に入った。
- 顯慶元年(656年)四月丁酉、太白が東井の北轅を犯した(占いは「秦に兵がある」)。五年二月甲午、熒惑が南斗に入り、六月戊申再び犯した(南斗は天廟。去ってまた来るのはその事が大きく長く続くことを示す)。
- 龍朔元年(661年)六月辛巳、太白が昼に太陽を横切って現れ、九月癸卯左執法を犯した。二年七月己丑、熒惑が羽林を守り(羽林は禁兵)、三年正月己卯天街を犯した(占いは「塞を攻めて姦を追い出す」)。六月乙酉、太白が東井に入った(占いは「君が政を失い大臣に誅がある」)。
- 麟德二年(665年)三月戊午、熒惑が東井を犯し、四月壬寅輿鬼に入って質星を犯した。
- 乾封元年(666年)八月乙巳、熒惑が東井に入った。二年五月庚申、軒轅に入った。三年正月乙巳、月が軒轅大星を犯した。
- 咸亨元年(670年)四月癸卯、月が東井を犯した(占いは「人主の憂い」)。七月壬申、熒惑が東井に入った(占いは「旱」)。丙申、月が熒惑を犯した(占いは「貴人が死ぬ」)。十二月丙子、熒惑が太微に入り、二年四月戊辰再び犯した(太微垣は将相の位)。五年六月壬寅、太白が東井に入った。
- 上元二年(675年)正月甲寅、熒惑が房を犯した(占いは「君に憂いがある」、一説に「喪がある」)。三年正月丁卯、太白が牽牛を犯した(占いは「将軍に凶事」)。
- 儀鳳二年(677年)八月辛亥、太白が軒轅左角を犯した(左角は貴相にあたる)。三年十月戊寅、熒惑が鉤鈐を犯し、四年四月戊午羽林に入った(占いは「軍の憂い」)。
- 調露元年(679年)七月辛巳、天囷に入った。
- 永隆元年(680年)五月癸未、輿鬼を犯した。丁酉、太白が昼に太陽を横切って現れた(これを「陰が陽に乗る」という。陽は君道にあたる)。
- 永淳元年(682年)五月丁巳、辰星が軒轅を犯した。九月庚戌、熒惑が輿鬼に入り質星を犯し、十一月乙未再び輿鬼を犯した(去ってまた来ることを「句巳」という)。
- 垂拱元年(685年)四月癸未、辰星が東井の北轅を犯した(辰星は廷尉、東井は法令にあたり、道を失えば互いに犯し合う)。十二月戊子、月が軒轅大星を掩い、二年三月丙辰再び犯した。
- 萬歲通天元年(696年)十一月乙丑、歳星が司怪を犯した(占いは「水旱が時に合わない」)。
- 聖曆元年(698年)五月庚午、太白が天関を犯した(天関は辺事を主る)。二年、熒惑が輿鬼に入った。三年三月辛亥、歳星が左執法を犯した。
- 久視元年(700年)十二月甲戌晦、熒惑が軒轅を犯した。乾封二年以後、月及び熒惑・太白・辰星が軒轅を凌犯すること六度に及んだ。
- 長安二年(702年)、熒惑が五諸侯を犯した。渾儀監の尚獻甫は「臣の命は金にあり、五諸侯は太史の位で火が金に克つゆえ、臣は死ぬでしょう」と奏上した。武后は「朕がお前のために禳おう。獻甫を水衡都尉とし、水は金を生じ、また太史の位を離れるゆえ憂いはない」と言った。この秋、獻甫は卒した。四年、熒惑が月に入り、鎮星が天関を犯した。
- 神龍元年(705年)三月癸巳、熒惑が天田を犯した(占いは「旱」)。七月辛巳、氐の西南星を掩った(占いは「賊臣が内にいる」)。二年閏正月丁卯、月が軒轅后星を掩った。九月壬子、熒惑が左執法を犯した。己巳、月が軒轅后星を犯し、十一月辛亥昴を犯した(占いは「胡王が死ぬ」)。戊午、熒惑が氐に入り、十二月丁酉天江を犯した(占いは「旱」)。三年五月戊戌、太白が輿鬼の中に入った(占いは「大臣に誅がある」)。
- 景龍三年(709年)六月癸巳、太白が東井で昼に見えた(京師の分野)。四年二月癸未、熒惑が天街を犯した。五月甲子、月が五諸侯を犯した。
- 景雲二年(711年)三月壬申、太白が羽林に入った。八月己未、歳星が執法を犯した。
- 太極元年(712年)三月壬申、熒惑が東井に入った。
- 先天元年(712年)八月甲子、太白が月を襲った(占いは「太白は兵の象、月は大臣の体」)。二年十一月丙子、熒惑が司怪を犯した。
- 開元二年(714年)七月己丑、太白が輿鬼東南星を犯した。七年六月甲戌、太白が東井の鉞星を犯した(占いは「斧鉞が用いられる」)。八年三月庚午、東井の北轅を犯し、五月甲子軒轅を犯した。十一年十一月丁卯、歳星が進賢を犯した。十四年十月甲寅、太白が昼に見えた。二十五年六月壬戌、熒惑が房を犯した。二十七年七月辛丑、南斗を犯した(占いは「貴相に凶事」)。
- 天寶十三載(754年)五月、熒惑が心を五旬余り守った(占いは「主がその宮を去る」)。十四載十二月、月が東井で歳星を食した(占いは「その国が亡ぶ」。東井は京師の分野)。
- 至德二載(757年)七月己酉、太白が昼に太陽を横切って現れ十一月戊午まで見えなくなり秦・周・楚・鄭・宋・燕の分野を経た。十二月、歳星が軒轅大星を犯した(占いは「女主が君を謀る」)。
- 乾元元年(758年)五月癸未、月が心の前星を掩った(占いは「太子の憂い」)。六月癸丑、南斗魁の中に入った(占いは「大人の憂い」)。二年正月癸未、歳星が翼で月を食した(楚の分野。一説に「饑」)。二月丙辰、月が心中星を犯した(占いは「主命がこれを悪む」)。
- 上元元年(760年)五月癸丑、月が昴を掩った(占いは「胡王が死ぬ」)。八月己酉、太白が進賢を犯した。十二月癸未、歳星が房を掩った(占いは「将相の憂い」)。三年建子月癸巳、月が昴を掩い昴の北に出、八月丁卯また昴を掩った。
- 寶應二年(763年)四月己丑、月が歳星を掩った(占いは「饑」)。
- 永泰元年(765年)九月辛卯、太白が昼に太陽を横切って現れた。
- 大曆二年(767年)七月癸亥、熒惑が氐に入りその色は赤黄。乙丑、鎮星が水位を犯した(占いは「水災がある」)。乙亥、歳星が司怪を犯した。八月壬午、月が氐に入り、丙申畢を犯した。九月戊申、歳星が東井を守った(いずれも占いは「兵がある」)。乙丑、熒惑が南斗を犯した(燕の分野)。十二月丁丑、壘壁を犯した(占いは「兵が起こる」)。三年正月壬子、月が畢を掩い、八月己未再び畢を掩い、辛酉東井に入った。九月壬申、歳星が輿鬼に入った(占いは「歳星は貴臣、輿鬼は死喪を主る」)。丁丑、熒惑が太微に入り二旬で出た。己卯、太白が左執法を犯した。四年二月壬寅、熒惑が房上相を守り、丙午芒角を発し、三月壬午逆行して氐の中に入った。この月、鎮星が輿鬼を犯した。七月戊辰、熒惑が次相を犯し、九月丁卯建星を犯した(占いは「大臣が互いに讒言する」)。五年二月乙巳、歳星が軒轅に入った。六月丁酉、月が進賢を犯し、庚子氐を犯した。庚戌、太白が東井に入った。六年七月乙巳、月が畢を掩い畢の中に入り、壬子太微を犯した。八月甲戌、熒惑が鄭星を犯した。庚辰、月が太微に入った。九月壬辰、熒惑が哭星を犯し、庚子泣星を犯した。この夜、月が畢を掩い、丁未太微に入り、十月丁卯畢を掩った。己巳、熒惑が壘壁を犯した。甲戌、月が軒轅に入った(占いは「憂いは後宮にある」)。十一月壬寅、太微に入り、丙午氐を掩い、十二月己巳太微に入った。七年正月乙未、軒轅を犯し、二月戊午天関を掩った(占いは「乱臣が天子の法令を改める」)。己巳、熒惑が天街を犯し、四月丁巳東井に入った。辛未、歳星が左角を犯した(占いは「天下の道が通じない」)。壬申、月が羽林に入り、五月丙戌太微に入った。八年四月癸丑、歳星が房を掩った(占いは「将相の憂い」。また宋の分野)。甲寅、熒惑が壘壁に入り、五月庚辰羽林に入った。七月己卯、太白が東井に入り七日留まった(常度にあらず。占いは「秦に兵がある」)。乙未、月が畢の中に入った。癸未、羽林に入った。己丑、太白が太微に入った(占いは「兵が天廷に入る」)。八月昼に見えた。十月丁巳、月が畢を掩い、壬戌輿鬼に入り質星を掩った。庚午、月及び太白が氐の中に入った(占いは「君に哭泣の事がある」)。十一月己卯、月が羽林に入った。癸未、太白が房に入った(占いは「白衣の会」)。犯すと言わず入ると言うのは鉤鈐の間にあるため。癸丑、月が天関を掩い、甲寅東井に入り、癸酉羽林に入った。九年三月丁未、熒惑が東井に入った。四月丁丑、月が太微に入った。五月己未、太白が軒轅に入った(占いは「憂いは後宮にある」)。六月己卯、月が南斗を掩い、庚辰太微に入り、七月甲辰房を掩い、辛亥羽林に入り、壬戌輿鬼に入った。九月辛丑、太白が南斗に入った(占いは「反臣がある」、また「赦がある」)。甲子、熒惑が氐に入った(宋の分野)。十月戊子、歳星が南斗に入った(占いは「大臣に誅がある」)。十二月戊辰、月が羽林に入った。十年三月庚戌、熒惑が壘壁に入り、四月甲子羽林に入った。八月戊辰、月が太微に入った。十一年閏八月丁酉、太白が昼に太陽を横切って現れた。十二年正月乙丑、月が軒轅を掩い、癸酉心の前星を掩い(宋の分野)、丙子南斗魁の中に入った。二月乙未、鎮星が氐の中に入った(占いは「その分野に兵喪がある」。李正己の地)。三月壬戌、月が太微に入り、四月乙未心の前星を掩い、五月丙辰太微に入り、戊戌羽林に入り、七月庚戌南斗に入った。乙亥、熒惑が東井に入った。十月壬辰、月が昴を掩い、庚子太微に入り、十一月乙卯羽林に入り、十二月壬午再び羽林に入った。六年から十二年までの間、月が太微に入ること十二度、羽林に入ること八度、熒惑は東井に三たび入り羽林に再び入り壘壁に三たび入った。月・太白・歳星はいずれも南斗魁の中に入った。十四年春、歳星が東井に入った。
- 建中元年(780年)十一月、秦の分野で月が歳星を食した(占いは「その国が亡ぶ」)。この月、歳星が天尸を食した(天尸は輿鬼の中星。占いは「妖言があり小人が位にあり、君王が枢を失い死者が太半に及ぶ」)。三年七月、月が心中星を掩った。
- 貞元四年(788年)五月丁卯、月が営室で歳星を犯した。六月癸卯、熒惑が逆行して羽林に入った(占いは「軍に憂いがある」)。六年五月戊辰、月が太白を犯し間に指一本ほどの隔たりであった(占いは「大将が死ぬ」)。十年四月、太白が昼に見えた。十一年七月、熒惑・太白が相継いで太微上将を犯した。十三年二月戊辰、太白が昴に入った。三月庚寅、月が太白を犯した。十九年三月、熒惑が南斗に入り色は血のようであった(斗は呉・越の分野。血のような色は旱の兆し)。二十一年正月己酉、太白が昴を犯した(趙の分野)。
- 永貞元年(805年)十二月丙午、月が畢を犯した。己酉、歳星が太微西垣を犯した(将相の位)。
- 元和元年(806年)十月、太白が南斗に入り、十二月再び犯した(斗は呉の分野)。二年正月癸丑、月が女・虚で太白を犯した。二月壬申、月が歳星を掩った(占いは「大臣が死ぬ」)。四月丙子、太白が東井の北轅を犯した。己卯、月が房上相を犯した。三年三月乙未、鎮星が氐で月を食した(占いは「その地の主が死ぬ」)。四年九月癸亥、太白が南斗を犯した。七年正月辛未、月が熒惑を掩った。五月癸亥、熒惑が右執法を犯した。六月己亥、月が南斗魁を犯した。八年七月癸酉、月が五諸侯を犯した。十月己丑、熒惑が太微西上将を犯し、十二月左執法を掩った。九年二月丁酉、月が心中星を犯し、七月辛亥心中星を掩った(占いは「その宿の地に凶事」。心は豫州の分野)。壬辰、月が軒轅を掩った。この月、太白が南斗に入り十月まで出ず、昼に見えた。熒惑が南斗の中に入り留まりこれを犯した(南斗は天廟、また丞相の位)。十年八月丙午、月が南斗魁の中に入った。十一年二月丙辰、月が心を掩った。この月、熒惑が氐に入り逆行した。三月己丑、月が女で鎮星を犯した(斉の分野)。四月丙辰、太白が輿鬼を犯した(占いは「僇される臣がある」)。六月甲辰、月が心後星を掩った。この月、熒惑が再び氐に入った(これを「句巳」という)。十一月戊寅、月が歳星を犯し、十二月甲午危で鎮星を犯した(これも斉の分野)。十二年三月丁丑、月が心を犯した。十三年正月乙未、歳星が逆行し太微西上将を犯した。三月、熒惑が南斗に入り逆留し、七月に至って南斗の中にあり五升器ほどの大きさで色は赤く怒ったようで、やがて東行した(常にあらず)。八月甲戌、太白が左執法を犯した。乙巳、熒惑が哭星を犯した。十月甲子、月が昴を犯した(趙の分野)。十四年正月癸卯、月が南斗魁を犯した(占いは「相に凶事」)。五月丙戌、月が心中星を犯し、七月乙酉心中星を掩い、十五年正月丙申再び中星を犯した。四月、太白が昴を犯した。七月庚申、熒惑が逆行して羽林に入った。八月己卯、月が牽牛を掩った(呉・越の分野)。十一月壬子、月が東井の北轅を犯した。
- 長慶元年(821年)正月丙午、月が東井の鉞を掩いついに南轅第一星を犯した。二月乙亥、太白が昴を犯した(趙の分野)。丁亥、月が尾で歳星を犯した(占いは「大臣が死ぬ」。燕の分野)。三月庚戌、太白が五車を犯し昼に見え七月まで続いた。暦度で推すと唐及び趙・魏の分野にあった(占いは「兵が起こる」)。七月壬寅、月が房次相を掩った。九月乙巳、太白が左執法を犯した。二年九月、太白が昼に見えた。熒惑が天囷を六旬余り守って去った(占いは「天囷は上帝の蔵、耗祥である」)。十月、熒惑が昴で鎮星を犯した。甲子、月が牽牛中星を掩った(占いは「呉・越に凶事」)。十一月丁丑、左角を掩い、十二月再び掩った(占いは「将が死ぬ」)。甲寅、月が南斗で太白を犯した。四年三月庚午、太白が東井の北轅を犯しついに井の中に入り昼に太陽を横切って現れ七日で出、輿鬼を犯した(京師の分野)。五月乙亥、月が畢大星を掩った。六月丙戌、鎮星は暦上觜觿にあるはずが異常に明るく進んで参六度に至り、居るべきでない所に居て軌道を外れ前進しついに井の鉞を犯した(占いは「久しく居れば国の福が厚く、易ければ福が薄い」。また「異常に明るいのは王が安からず、鉞は斬刈を主るゆえこれを犯すのは重い占いである」)。癸未、熒惑が東井を犯し、丁亥井の中に入った。己丑、太白が軒轅右角を犯し昼に見え九月まで続いた(占いは「相に凶事」)。十月辛巳、月が畢の口に入った。十一月、熒惑が逆行して参に向かい、鎮星が天関を守った。十二月戊子、月が東井を掩った。
- 寶曆元年(825年)四月壬寅、熒惑が輿鬼に入り積尸を掩い、七月癸卯執法を犯した。甲辰、鎮星が東井を犯した。甲子、月が畢大星を掩った。癸未、太白が南斗を犯した。丙戌、月が畢を犯し、十月辛亥天囷を犯した。十一月庚辰、鎮星が再び東井を犯した。癸未、月が東井を犯し、二年正月甲申左執法を犯し、戊子氐に入った。二月丙午、畢を犯した。五月甲午、熒惑が昴を犯した。六月、太白が昴を犯した。七月壬申、月が畢を犯した。八月庚戌、熒惑が輿鬼を犯した。
- 大和元年(827年)正月庚午、月が畢を掩い、三月癸丑畢の口に入り大星を掩った(月が畢で変異を起こすのは寶曆元年九月以来これで五度目)。五月、月が太微西垣で熒惑を掩った。丙戌、熒惑が右執法を犯した。
- 大和二年(828年)正月庚午、月が鎮星を掩った。七月甲辰、熒惑が輿鬼の質星を掩った。十月丁卯、月が東井の北轅を掩った。三年二月乙卯、太白が昴を犯した。壬申、熒惑が右執法を掩い、七月氐に入り、十月南斗に入った。四年四月庚申、月が南斗の杓次星を掩った。十一月辛未、熒惑が右執法を犯した。五年二月甲申、月が熒惑を掩った。三月、熒惑が南斗の杓次星を犯した。六年四月辛未、月が端門で鎮星を掩った。己丑、太白が昼に見えた。七月戊戌、月が心大星を掩い、辛丑南斗の杓次星を掩った。七年五月甲辰、熒惑が心中星を守った。六月丙子、月が心中星を掩いついに熒惑を犯した。七月甲午、月が心中星を掩い、丙申南斗口第二星を掩った。九月丁巳、箕に入り、戊辰南斗に入った。癸酉、太白が南斗に入った。冬、鎮星が角を守り、八年二月にようやく去った。七月戊子、月が昴を犯した。十月庚子、熒惑・鎮星が亢で合した。十二月丙戌、月が昴を掩った。この年、月が南斗に入ること五度に及んだ(占いは「大人の憂い」)。九年夏、太白が昼に見え軒轅から翼・軫に至った。六月庚寅、月が危で歳星を掩い暈をなし、十月庚辰再び危で歳星を掩った。
- 開成元年(836年)正月甲辰、太白が建星を掩った(占いは「大臣が互いに讒言する」)。六月丁未、月が心の前星を掩い、八月乙巳南斗に入った。二年正月壬申、月が昴を掩った。二月己亥、月が昴の中で太白を掩った。六月甲寅、月が昴を掩い暈をなし太白にも暈があった。六月己酉、大星が昼に見えた。庚申、太白が東井に入った。七月壬申、月が南斗に入り、丁亥柳で太白を掩った。八月壬子、太白が太微に入りついに左右執法を犯した。九月丙子、月が昴を掩い、三年二月己酉心の前星を掩った。二月戊午、熒惑が東井に入り、三月乙酉輿鬼に入った。五月辛酉、太白が輿鬼を犯した。庚午、月が心中星を犯した。甲寅、太白が右執法を犯した。七月乙丑、月が心の前星を掩った。十月辛卯、太白が南斗を犯した。四年二月丁卯、月が畢で歳星を掩い、三月乙酉東井を掩った。七月乙未、月が熒惑を犯した(占いは「貴臣が死ぬ」)。八月壬申、熒惑が鉞を犯しついに東井に入った。十月戊午、辰星が南斗魁の中に入った(占いは「大赦がある」)。五年春、木星が王たるべき時なのに歳星は小さく暗く光がなかった(占いは「大喪がある」)。二月壬申、熒惑が輿鬼に入った。四月、太白・歳星が輿鬼に入った。五月、辰星が七星に見え色は火のように赤かった。七月乙酉、月が鎮星を掩った。
- 會昌元年(841年)閏八月丁酉、熒惑が輿鬼の中に入った(占いは「兵喪がある」)。十二月庚午、月が羽林で太白を犯し、二年正月壬戌羽林で太白を掩った。六月丙寅、太白が東井を犯した。十月丙戌、月が角で歳星を掩った。三年三月丙申、また角で歳星を掩った。七月癸巳、熒惑が東井に入り色は蒼赤で井中で動揺し、八月丁丑輿鬼を犯した。十月壬午昼、月が亢で太白を食した。四年二月、歳星が房を守り上相を掩い、熒惑が逆行して軒轅を守り四旬でようやく去った。庚申、月が畢大星を掩った。十月癸未、太白が熒惑と合しついに南斗に入った。五年二月壬午、太白が昴を掩い、五月辛酉畢の口に入り、八月壬午軒轅大星を犯した。九月癸巳、熒惑が太微上将を犯した。六年二月丁丑、畢大星を犯した。丁亥、月が光なく出て太微で熒惑を犯し、しばらくしてやや光が戻りついに左執法を犯し、丙申牽牛南星を掩いついに歳星を犯した(牽牛は揚州の分野)。
- 大中十一年(857年)八月、熒惑が東井を犯した。
- 咸通十年(869年)春、熒惑が逆行し心を守った。
- 乾符二年(875年)四月庚辰、太白が昴で昼に見えた。三年七月、常星が昼に見えた。四年七月、月が房を犯した。六年冬、歳星が南斗魁の中に入った(占いは「反臣がある」)。
- 光啟二年(886年)四月、熒惑が月角を犯した。
- 文德元年(888年)七月丙午、月が南斗に入った。八月、熒惑が輿鬼を守った(占いは「戦死が多い」)。
- 龍紀元年(889年)七月甲辰、月が心を犯した。
- 乾寧二年(895年)七月癸亥、熒惑が心を犯した。
- 光化二年(899年)、鎮星が南斗に入った。三年八月壬申、太白が氐で見えるはずが見えず、九月丁亥に至ってようやく見えた(これを「出るはずが出ない」という)。十一月丁未、太白が月を犯しついに昼に見えた。
- 天復元年(901年)五月丁酉から己亥まで、太白が昼に太陽を横切って現れ井の度にあった。十月、大角が五色に散らめき煌々として火のようであった(占いは「王者がこれを悪む」)。二年五月甲子、太白が軒轅后星の上で熒惑を襲いついに端門を犯し長垣中星を犯した(占いは「賊臣が乱を謀り京畿で大戦がある」)。十月甲戌、太白が斗で夕方に見え地から一丈のところで墜ちた(占いは「兵がその下に集まる」、また「山が崩れ石が裂け大水が竭きる」)。庚子、辰星が氐の中に見え小さく明るくなかった(占いは「海に負う国に大水がある」)。この年、鎮星が虚を守った。三年二月にようやく虚を去った。十一月丙戌、太白が南斗にあり地から五尺ほどのところで色は小さく黄色であったが、翌年正月には高さ十丈に及び光芒が甚だ大きくなった。この冬、熒惑が東井の間を長く徘徊し去らなかった(京師の分野)。
- 天祐元年(904年)二月辛卯、太白が昴の西で夕方に見え色は赤く炎のようであった。壬辰、三つの角のある花のような形が動揺した(占いは「反乱があり城に火災、胡兵が起こる」)。六月甲午、太白が張にあり芒角が甚だ大きく、癸丑句巳(去っては戻る動き)となり水位を犯した。夏から秋にかけて、大角が五色に散らめき煌々としていた(占いは天復初年と同じ)。三年八月丙午、歳星が哭星の上にあり黄白の気を生じ彗星のような形をなした。
五星聚合
- 武德元年(618年)七月丙午、鎮星・太白・辰星が東井に集まった(関中の分野)。二年三月丙申、鎮星・太白・辰星がまた東井に集まった。九年六月己卯、歳星・辰星が東井で合した(占いは「変謀のため」)。
- 貞観十八年(644年)五月、太白・辰星が東井で合した(占いは「兵謀のため」)。十九年六月丙辰、太宗が高麗を征討し安市城に次いだとき、太白・辰星が東井で合した。史記に「太白は主、辰星は客であり蛮夷を表す。出て相従い兵が野にあるのは戦の兆し」とある。
- 永徽元年(650年)七月辛酉、歳星・太白が柳で合した(秦の分野。占いは「兵が起こる」)。
- 景龍元年(707年)十月丙寅、太白・熒惑が虚・危で合した(占いは「喪がある」)。
- 景雲二年(711年)七月、鎮星・太白が張で合した(占いは「内兵」)。
- 太極元年(712年)四月、熒惑・太白が東井で合した。
- 天寶九載(750年)八月、五星が尾・箕に集まり熒惑が先に至って先に去った(尾・箕は燕の分野。占いは「徳があれば慶、徳がなければ殃」)。十四載二月、熒惑・太白が畢・昴・井・鬼の間で闘い、四月に至って伏した。十五載五月、熒惑・鎮星がともに虚・危にあり中天で芒角が大きく動揺した(占者は北方の宿は子午が相衝するため災いは南方にあると考えた)。
- 至德二載(757年)四月壬寅、歳星・熒惑・太白・辰星が鶉首に集まり歳星に従った。罰星(熒惑)が先に去り歳星が留まった(占いは「歳星・熒惑は陽、太白・辰星は陰。陰は外邦を、陽は中邦を主る。陽と陰が合すれば中外相連なって兵が起こる」)。八月、太白の芒が怒ったようになり歳星を鶉火で掩い、また昼に太陽を横切って現れた(鶉火は周の分野)。
- 乾元元年(758年)四月、熒惑・鎮星・太白が営室に集まった。太史の南宮沛は「その地は戦って勝てない」と奏上した(衛の分野)。
- 大曆三年(768年)七月壬申、五星がともに東方に出た(占いは「中国に利あり」)。八年閏十一月壬寅、太白・辰星が危で合した(斉の分野)。十年正月甲寅、歳星・熒惑が南斗で合した(占いは「饑・旱」。呉・越の分野。一説に「兵を用いるべからず」)。七月庚辰、太白・辰星が柳で合した(京師の分野)。
- 建中二年(781年)六月、熒惑・太白が東井で闘った。四年六月、熒惑・太白がまた東井で闘った(京師の分野。金・火の罰星が闘うのは戦の象)。
- 興元元年(784年)春、熒惑が歳星を角・亢で守った(占いは「反臣がある」。角・亢は鄭)。
- 貞元四年(788年)五月乙亥、歳星・熒惑・鎮星が営室に集まった(占いは「その国が亡ぶ」。地は衛の分野)。六年閏三月庚申、太白・辰星が東井で合した(占いは兵の憂い)。戊寅、熒惑が鎮星を奎で犯した(魯の分野)。
- 元和九年(814年)十月辛未、熒惑が鎮星を犯し、また太白と女で合した(斉の分野)。十年六月辛未、歳星・熒惑・太白・辰星が東井で合した(占いは「中外相連なって兵となる」)。十一年五月丁卯、歳星・辰星が東井で合し、六月己未また東井で合した(占いは「変謀のため再び事を起こす」)。十一月戊子、鎮星・熒惑が虚・危で合した。十二月、鎮星・太白・辰星が危に集まった(いずれも斉の分野)。十四年八月丁丑、歳星・太白・辰星が軫に集まった(占いは「兵喪」。楚の分野及び南方夷貊の国)。十五年三月、鎮星・太白が奎で合した(占いは「内兵」。徐州の分野)。十二月、熒惑・鎮星が奎で合した(占いは「主の憂い」)。
- 長慶二年(822年)二月甲戌、歳星・熒惑が南斗で合した(占いは「饑・旱」)。八月丙寅、熒惑が鎮星を昴・畢で犯し留まって守った(占いは「主の憂い」)。四年八月庚辰、熒惑が鎮星を東井で犯した。鎮星はすでに軌道を外れ鉞を犯していたが熒惑がさらにこれを犯した(占いは「内乱」)。
- 寶曆二年(826年)八月丁未、熒惑・鎮星が再び東井・輿鬼の間で合した。
- 大和二年(828年)九月、歳星・熒惑・鎮星が七星に集まった。三年四月壬申、歳星が鎮星を犯した(占いは「饑」)。四年五月丙午、歳星・太白が東井で合した。六年正月、太白・熒惑が羽林で合した。十月、太白・熒惑・鎮星が軫に集まった。八年七月庚寅、太白・熒惑が合して互いに犯し合い、暦度で推すと翼にあり太微に近かった(占いは「兵が起こる」)。
- 開成三年(838年)六月丁亥、太白が熒惑を張で犯した(占いは「喪がある」)。四年正月丁巳、熒惑・太白・辰星が南斗に集まり、暦度で推すと燕の分野にあった(占いは「内外に兵喪あり、王公を改立する」)。冬、歳星・熒惑がともに逆行し色を失い東井で合した(京師の分野)。
- 會昌二年(842年)六月乙丑、熒惑が歳星を翼で犯した(占いは「旱」)。四年十月癸未、太白・熒惑が南斗で合した。
- 咸通中、熒惑・鎮星・太白・辰星が畢・昴に集まり趙・魏の分野にあった。詔により鎮州の王景崇が袞冕を被り軍府をあげて臣と称してこれを厭勝させた。
- 文德元年(888年)八月、歳星・鎮星・太白が張に集まった(周の分野。占いは「内外に兵がある」。河内・河東の地にあたる)。
- 光化三年(900年)十月、太白・鎮星が南斗で合した(占いは「呉・越に兵がある」)。