新唐書卷十一 志第一 禮樂一

総論――礼楽が形骸化した理由

  • 三代以前は政治が一つに出て、礼楽が天下に行き渡っていた。三代以後は政治が二つに分かれ、礼楽は虚名となった。古は宮室・車輿を住居とし、衣裳・冕弁を服とし、尊爵・俎豆を器とし、金石・絲竹を楽とし、それをもって郊廟に赴き朝廷に臨み、神に事え民を治めた。歳時の朝覲・聘問、懽欣の射郷・食饗、衆を合わせての師田・学校、里閭田畝に至るまで、吉凶哀楽すべての民事が一様に礼から出ていた。孝慈・友悌・忠信・仁義を民に教えるのも、日々の居処・動作・衣服・飲食の間から離れなかった。これが「政治が一つに出て礼楽が天下に達する」ということであり、民は安んじてこれを行い、遷善遠罪して俗を成すことを意識しなかった。
  • 三代が滅び秦が古を変えて以後、天下を有する者は天子・百官の名号位序、国家制度、宮車・服器のすべてを秦の制に倣った。治世を志す君主があっても三代の昔に遠く復ることはできず、時俗に牽かれて損益するのみで、おおむね簡略に安んじた。日々の政務は簿書・獄訟・兵食を急務とし「これが政治であり、民を治める所以だ」とし、三代の礼楽は名物のみを有司に蔵し、時に郊廟・朝廷で用いて「これが礼であり、民を教える所以だ」とした。これが「政治が二つに出て礼楽が虚名となる」ということである。それゆえ漢以来、史官の記す事物の名数、降登揖讓、拝俛伏興の作法は、みな有司の事に過ぎず、いわゆる礼の末節である。しかも郊廟・朝廷で用いても、搢紳・大夫でさえその間で事えて理解する者は少なく、天下の民は老死するまで見ることもなく、まして礼楽の盛んさを識り、その意を諭されて教化を受け俗を成すことなど望むべくもなかった。習うのはその器のみで意を知らず、本を忘れて末を存するのみで、それすら備わらないのが実情である。朝覲・聘問・射郷・食饗・師田・学校・冠婚・喪葬の礼で残っているものがどれほどあろうか。梁以来、当時行われていたものを周官の五礼の名に付会し、各家の学として立てるようになった。

唐代の五礼制定の沿革

  • 唐初は隋の礼をそのまま用いたが、太宗の代に中書令房玄齢・秘書監魏徴が礼官・学士らとともに隋の礼に、天子の上陵・朝廟・養老・大射・講武・読時令・納皇后・皇太子入学・太常行陵・合朔・陳兵太社などを加え、吉礼六十一篇、賓礼四篇、軍礼二十篇、嘉礼四十二篇、凶礼十一篇とした。これが貞観礼である。
  • 高宗はさらに太尉長孫无忌・中書令杜正倫李義府・中書侍郎李友益・黄門侍郎劉祥道許圉師・太子賓客許敬宗・太常卿韋琨らに詔してこれを一百三十巻に増補させた。これが顕慶礼である。その文は式令を雑え、義府・敬宗が当時得意になっており旨に迎合することが多かった。施行後、議者はみな非としたため、上元三年、詔して貞観礼を復用した。これにより高宗の世を通じ、貞観・顕慶の二礼が並行して行われた。有司は事に臨むごとに古義を援用して二礼を参酌増損し、定まった制度はなかった。武氏・中宗の乱敗の間はさらに言うに足るものはなく、博士は礼を掌るだけの備え官であった。
  • 玄宗開元十年、国子司業韋縚を礼儀使とし五礼を掌らせた。十四年、通事舎人王喦が礼記の旧文を刪去し今の事を加えることを上疏し、集賢院に議させた。学士張説は礼記を不刊の書とし改易すべきでないが、貞観・顕慆礼は儀注の前後不同があるので折衷して唐礼を作るべしとした。そこで集賢院学士右散騎常侍徐堅・左拾遺李鋭及び太常博士施敬本に撰述を命じたが、長年成らず李鋭が卒し、蕭嵩が代わって学士となり、起居舎人王仲丘に撰定を命じて一百五十巻を成した。これが大唐開元礼である。これにより唐の五礼の文が初めて整い、後世これを用い、時に多少の損益はあっても超えることはなかった。
  • 貞元中、太常礼院修撰王涇が歴代郊廟の沿革の制及びその工歌祝号を考次し、壇屋陟降の序を図にして郊祀録十巻を作った。元和十一年、秘書郎・修撰韋公粛が開元以後の礼文を録し損益して礼閣新儀三十巻とした。十三年、太常博士王彦威が曲台新儀三十巻を、また元和以来の王公士民の昏祭喪葬の礼を採って続曲台礼三十巻を作った。文記としては備わったといえるが、貞観・開元の間に施すには盛んと言えても、三代の隆盛には及ばない。それは文を具えても意がそこにないためであり、これがいわゆる「礼楽が虚名となる」ということである。

吉礼の体系(大祀・中祀・小祀)

  • 一に吉礼という。大祀は天・地・宗廟・五帝及び追尊の帝・后。中祀は社・稷・日・月・星・辰・岳・鎮・海・瀆・帝社・先蚕・七祀・文宣・武成王及び古帝王・贈太子。小祀は司中・司命・司人・司禄・風伯・雨師・霊星・山林・川沢・司寒・馬祖・先牧・馬社・馬歩、州県の社稷・釈奠。天子が親祭するものは二十四。三年に一度祫、五年に一度禘があり、その年に当たれば行う。他の二十二は一年のうちにすべて挙げることができないため、有司が摂事する。恒例でない祭祀は臨時に行う。皇后・皇太子が毎年行うものはそれぞれ一つで、他はみな有司が行う。
  • 年間の常祀二十二は次の通り。冬至、正月上辛の祈穀、孟夏の雩祀昊天上帝(圓丘)、季秋の大享(明堂)、臘の蜡百神(南郊)、春分の朝日(東郊)、秋分の夕月(西郊)、夏至の祭地祇(方丘)、孟冬の祭神州地祇(北郊)、仲春・仲秋上戊の祭太社、立春・立夏・季夏の土王・立秋・立冬の祀五帝(四郊)、孟春・孟夏・孟秋・孟冬・臘の享太廟、孟春吉亥の享先農(あわせて耕籍を行う)。

祭祀の六節(総説)

  • 祭祀の節には六つある。一に卜日、二に齋戒、三に陳設、四に省牲器、五に奠玉帛(宗廟では晨祼)、六に進熟(宗廟では饋食)。

一 卜日

  • 大祀・中祀で定まった日のないものは占い、小祀は筮う。いずれも太廟で行う。
  • 祀の四十五日前、廟南門の外で占う。太常卿は門東に立ち、太卜正の占者は門西に立つ。卜正が席の西首に亀を奠き、灼く道具を亀の北に置く。亀を執って席東に立ち北を向く。太卜令が進み亀を受けて卿に高く示す。卿が視終えると令が受け取り少し退いて命を待つ。卿は「皇帝、某日にもって某を祗祀す」と告げ、令は「諾」と応じる。卿は席に戻り西向きに坐し、「爾太亀を仮る、常あり」と命ずる。興って卜正に亀を授ける。卜正は東扉を負い坐して亀を灼く。令が進んで亀を受け卿に示す。卿は受けてこれを反す。令が位に復し東向きに占い、亀を離さずに進んで卿に「某日、従う」と告げ、亀を卜正に返す。卜日は必ず初旬を用い、吉でなければ中旬・下旬に及び、初めと同じ儀を行う。
  • 筮日の場合は卜正が韇を啓いて策を出し、両手で執って命を受け、韇で策を撃って「爾太筮を仮る、常あり」と述べ命じる。韇を釈いて策を坐し、卦を執って示すのは卜と同じ儀である。小祀の筮日は太卜令が莅み、吉日であれば用い、廃務に遇っても避けない。

二 齋戒

  • 齋戒には散齋・致齋・清齋の別がある。大祀は散齋四日・致齋三日、中祀は散齋三日・致齋二日、小祀は散齋二日・致齋一日。
  • 大祀では期の七日前、太尉が尚書省で百官に「某日、某の神祇を某所に祀る、各々その職を揚げよ。事を供せざれば国に常刑あり」と誓う。ここに齋が始まる。皇帝は別殿で散齋し、致齋は太極殿で二日、行宮で一日行う。致齋一日前、尚舎奉御が太極殿西序及び室内に御幄を東向きに設け、尚舎直長が前楹下に帷を張る。致齋の日、質明に諸衞が部を率いて屯門列仗する。晝漏上水一刻、侍中が「請中厳」を版奏する。諸衞の属官が隊を督して殿庭に陳列し、通事舎人が文武五品以上を袴褶で陪位に引く。侍衞の官は器服を服し、齋する侍臣は佩を結んで閤に詣で奉迎する。二刻、侍中が「外辦」を版奏する。三刻、皇帝は衮冕を服し佩を結び、輿に乗って西房より出て、曲直華蓋・警蹕侍衞のもと御座に即き東向し、侍臣が夾侍する。一刻ほどで侍中が跪いて「侍中臣某、請う、齋室に就かん」と奏する。皇帝は座を降りて室に入り、文武侍臣は本司に還り、陪位者は次第に退出する。
  • 予祀の官は散齋の間、通常の政務は行うが弔喪問疾せず、楽を作さず、刑殺の文書に判署せず、刑罰を行わず、穢悪に関わらない。致齋は祀事のみを行い、齋を欠く祀官は代役を立てる。他の官は清齋一日とする。

三 陳設(郊祀)

  • 陳設には待事の次、即事の位、門外の位、牲器の位、席神の位の五種がある。
  • 祀の三日前、尚舎直長が外壝東門の内・道北に大次を南向きに施す。衞尉が文武侍臣の次をその前に左右相向きに設ける。祀官の次を東壝の外・道南に設け、従祀の文官九品はその東、東方・南方の朝集使はさらにその東、蕃客はさらにその東に、重行異位で北向西上とする。介公・酅公は西壝の外・道南に、武官九品はその西、西方・北方の朝集使はさらにその西、蕃客はさらにその西で東上とする。褒聖侯が朝にある場合は文官三品の下に位する。陳饌幔を内壝東西門の外・道北に南向き、北門の外・道東に西向きに設ける。
  • 翌日、奉禮郎が御位を壇の東南に西向きに設け、望燎位を柴壇の北に南向きに当て、祀官・公卿の位を内壝東門の内・道南に、分献の官を公卿の南に、執事者をさらにその後に、異位重行で西向北上とする。御史の位は壇下、一は東南で西向き、一は西南で東向き。奉禮郎の位は楽県の東北、贊者はその南に少し退いて、いずれも西向き。また奉禮郎・贊者の位を燎壇の東北に西向きに設け、いずれも北上とする。協律郎の位は壇上南陛の西で東向き。太楽令の位は北県の間、壇に当てて北向き。従祀の文官九品の位は執事の南、東方・南方の朝集使はさらにその南、蕃客はさらにその南で西向北上とする。介公・酅公の位は中壝西門の内・道南、武官九品はさらにその南、西方・北方の朝集使はさらにその南、蕃客はさらにその南で東向北上とする。これは即事のための配置である。
  • また祀官及び従祀の群官の位を東西壝門の外に設けるのは次を設けるのと同様で、省牲及び祀の日に入場して序立するためである。
  • 牲牓を東壝の外・門に当てて西向きに設ける。蒼牲一が前に、また蒼牲一・青牲一が北に少し退いて南上、次に赤牲一・黄牲一・白牲一・玄牲一・赤牲一・白牲一が南に少し退いて北上。廩犧令の位は牲の西南、祝史はその後に陪し北向き。諸太祝の位は牲の東、各々牲後に当たり、祝史はその後に陪して西向き。太常卿の位は牲の前少し北、御史の位はその西でいずれも南向き。
  • また酒尊の位を設ける。上帝には太尊・著尊・犧尊・山罍各二を壇上東南隅に北向きに、象尊・壺尊・山罍各二を壇下南陛の東に北向きに置き、いずれも西上とする。配帝には著尊・犧尊・象尊・山罍各二を壇上、上帝酒尊の東に北向西上に置く。五帝・日・月には各太尊二を第一等に、内官には各陛間に象尊二を第二等に、中官には各陛間に壺尊二を第三等に、外官には各道間に概尊二を下壇下に、衆星には各道間に散尊二を内壝の外に置く。尊はいずれも神座の左に設けて右を向く。尊にはみな勺冪を加え、五帝・日・月以上には坫を設けて爵を置く。御洗を午陛の東南に、亜献・終献の洗を卯陛の南に共にいずれも北向きに設ける。罍水は洗の東、篚は洗の西で南肆とする。篚には巾・爵を実れる。分献の罍・洗・篚・冪は各々その方の陛道の左に内向きに置く。尊・罍・篚・冪を執る者はそれぞれその後に立つ。玉幣の篚は壇上下の尊坫の所に置く。
  • 祀の一日前、晡後に太史令・郊社令がそれぞれ常服でその属を率いて壇に登り、昊天上帝の神座を壇上北方に南向きに設け槀秸を席とする。高祖神堯皇帝の神座は東方に西向き、莞を席とする。五方帝・日・月は壇の第一等に、青帝は東陛の北、赤帝は南陛の東、黄帝は南陛の西、白帝は西陛の南、黒帝は北陛の西、大明は東陛の南、夜明は西陛の北とし、席はいずれも槀秸。五星・十二辰・河漢及び内官五十五は第二等十二陛の間に各々その方に依り、席はいずれも内向き。内官のうち北辰座は東陛の北、曜魄宝は北陛の西、北斗は南陛の東、天一・太一は北斗の東、五帝内座は曜魄宝の東にあり、いずれも差して前に置く。二十八宿及び中官一百五十九は第三等に、うち二十八宿及び帝座・七公・日星・帝席・大角・攝提・太微・太子・明堂・軒轅・三台・五車・諸王・月星・織女・建星・天紀の十七は差して前に置く。外官一百五は内壝の内に、衆星三百六十は内壝の外にそれぞれ方に依り十二道の間に、席はいずれも莞とする。

三 陳設(宗廟)

  • 宗廟の場合、享の三日前、尚舎直長が廟東門の外・道北に大次を南向きに施す。守宮が文武侍臣の次をその後に、文左武右いずれも南向きに設ける。諸享官・九廟子孫の次を齋坊内・道東近南に西向北上で設ける。文官九品はさらにその南、東方・南方の蕃客はさらにその南で西向北上。介公・酅公は廟西門の外近南、武官九品はその南、西方・北方の蕃客はさらにその南で東向北上とする。享の一日前、奉禮郎が御位を廟東南に西向きに設ける。享官・公卿の位を東門の内・道南に、執事者の位をその後に西向北上で設ける。御史の位は廟堂の下、一は東南で西向き、一は西南で東向き。令史はそれぞれその後に陪する。奉禮郎の位は楽県の東北、贊者二人はその南に少し退いていずれも西向き。協律郎の位は廟堂上・前楹の間、近西で東向き。太楽令の位は北県の間で北向き。従享の官の位を設け、九廟子孫は享官・公卿の南に昭穆異位とする。文官九品以上はさらにその南、東方・南方の蕃客はさらにその南で西向北上。介公・酅公の位は西門の内・道南、武官九品はその南少し西、西方・北方の蕃客はさらにその南で東向北上とする。牲牓を東門の外に郊の位と同様に設ける。尊彝の位を廟堂の上下に設け、各座斝彝一・黄彝一、犧尊・象尊・著尊・山罍各二を堂上、いずれも神座の左に置く。献祖・太祖・高祖・高宗の尊彝は前楹間で北向き、懿祖・代祖・太宗・中宗・睿宗の尊彝は戸外で南向き、各々坫を設ける。壺尊二・太尊二・山罍四はいずれも堂下階間で北向西上。簋・鈃・籩・豆は堂上、いずれも東側階の北に、毎座四簋を前に四簠を次に六豋を次に六鈃を次に籩豆を後にし、南を上として屈陳する。御洗は東階の東南、亜献はさらに東南、いずれも北向き。罍水は洗の東、篚は洗の西で南肆とする。享の日、未明五刻に太廟令が服を服し、昭穆の座を戸外に布く。西序より東へ献祖・太祖・高祖・高宗はいずれも北廂南向、懿祖・代祖・太宗・中宗・睿宗は南廂北向。毎座に黼扆、莞席紛純、藻席画純、次席黼純、左右に几を置く。

四 省牲器

  • 省牲の日、午後十刻に壇より二百歩の所で行人を禁じる。晡後二刻、郊社令・丞が府史三人及び齋郎を率い、尊・坫・罍・洗・篚・冪を持って位に設ける。三刻、謁者・贊引がそれぞれ祀官・公卿及び牲を位に就かせる。謁者が司空を引き、贊引が御史を引いて壇東陛に詣で、登って上を掃除し、降りて下で楽県を行う。まず司空が登る前、謁者が太常卿を、贊引が御史を引いて壇東陛に詣で、登って滌濯を視、降りて省牲の位に南向きに立つ。廩犧令が少し前に出て「省牲を請う」と言う。太常卿が牲を省す。廩犧令が北面して手を挙げ「腯(肥えたり)」と言う。諸太祝が各々牲を一巡し西向きに手を挙げて「充(十分なり)」と言う。諸太祝と廩犧令が次第に牲を牽いて廚に詣で太官に授ける。謁者が光禄卿を引いて廚に詣で、鼎鑊を省し、濯溉を申し視る。祀官・御史が饌具を省し、齋所に還る。祀の日、未明十五刻に太官令が宰人を率い鸞刀で牲を割き、祝史が豆で毛血を取り、各々饌所に置いてから牲を烹る。宗廟でも同様である。

五 奠玉帛(郊祀)

  • 祀の日、未明三刻に郊社令・良醞令がそれぞれその属を率いて尊・罍に実れ、太祝が玉幣を篚に置き、太官令が進饌者を率いて籩・豆・簋・簠に実れて饌幔に置く。未明二刻、奉禮郎が贊者を率いて先に位に就く。贊者が御史・博士・諸太祝及び令史・祝史・執事者を引き、東門・壇南より入り北向西上とする。奉禮郎が「再拝」と言い、贊者が伝え御史以下がみな再拝する。尊・罍・篚・冪を執る者は各々位に就く。贊者が御史・諸太祝を引いて壇東陛に登らせ、御史一人・太祝二人が上及び第一等を掃除し、御史一人・太祝七人が下を掃除する。未明一刻、謁者・贊引がそれぞれ群臣を門外の位に就かせ、太楽令が工人・二舞を率いて次第に入り、文舞は県内に陳ね、武舞は県南に立つ。謁者が司空を引いて入り、奉禮郎が「再拝」と言い、司空が再拝して東陛より登り上を掃除し、降りて下で楽県を行う。謁者・贊引がそれぞれ群臣を引いて位に就かせる。まず未明三刻、諸衞が大駕仗衞を列ねる。侍中が「請中厳」を版奏する。乗黄令が玉輅を行宮南門の外に南向きに進める。未明一刻、侍中が「外辦」を版奏する。皇帝は衮冕を服して輿に乗って出る。皇帝が輅に升るのは初めと同様。黄門侍郎が「請進発」を奏する。大次の門外に至って南向き。侍中が輅を降りることを請う。皇帝は輅を降り輿に乗って次に至る。半刻ほどで太常博士が太常卿を引いて大次の外・門に当たり北向きに立つ。侍中が「外辦」を版奏する。質明、皇帝は大裘して冕をつけ、博士が太常卿を引き、太常卿が皇帝を引いて中壝門の外に至る。殿中監が大珪を進め、尚衣奉御がまた鎮珪を殿中監に授けて進める。皇帝は大珪を搢し鎮珪を執る。礼部尚書と近侍の者が従い、皇帝は版位に至り西向きに立つ。太常卿が前に「再拝を請う」と奏する。皇帝が再拝する。奉禮郎が「衆官再拝」と言い、在位の者がみな再拝する。太常卿が前で「有司謹んで具う、行事を請う」と言う。協律郎が跪いて麾を挙げ、楽舞が六成する。麾を偃せ戞敔して楽が止む。太常卿が前に「再拝を請う」と奏し、皇帝が再拝する。奉禮郎が「衆官再拝」と言い、在位の者がみな再拝する。諸太祝が篚から玉幣を取り、各々尊の所に立つ。皇帝は壇に南陛より登り北向きに立つ。太祝が玉幣を侍中に授け東向きに進める。皇帝は鎮珪を搢して受け、跪いて昊天上帝に奠じ、俛伏して興り少し退き再拝、西方に立って東向く。太祝が幣を侍中に授けて進め、皇帝は幣を受け跪いて高祖神堯皇帝に奠じ、俛伏して興り拝し、南陛より降りて位に復する。皇帝が配帝に幣を奠じようとする間、謁者七人がそれぞれ献官を分引して玉幣を奉じ共に進み、跪いて諸神の位に奠じる。祝史・齋郎が助奠する。まず群官が再拝すると、祝史が各々毛血の豆を奉じて入り、各々その陛より登り、諸太祝が壇上で迎え取って奠じ、退いて尊の所に立つ。

五 奠玉帛(宗廟・晨祼)

  • 宗廟では晨祼という。享の日、未明四刻に太廟令・良醞令がそれぞれその属を率いて尊・罍に実れ、太官令が進饌者を率いて籩・豆・簋・簠に実れる。未明三刻、奉禮郎が贊者を率いて先に位に就く。贊者が御史・博士・宮闈令・太祝及び令史・祝史・執事者を引き、東門より入り階間に当たり北向西上とする。奉禮郎が「再拝」と言い、御史以下がみな再拝する。尊・罍・篚・冪を執る者は各々位に就く。贊者が御史・諸太祝を東階より登らせ堂上を掃除し、令史・祝史が下を掃除する。太廟令がその属を率い瑞物を太階の西に陳ね、上瑞を前列とし次瑞を次に、下瑞を後にし、また伐国の宝器を同様に陳ね、いずれも北向西上で席を藉く。未明二刻、腰輿を東階の東に陳ね、各室二基ずつ、いずれも西向北上とする。贊者が太廟令・太祝・宮闈令を引き、内外の執事者を率いて腰輿を東階より登らせ、献祖室に入り埳室を開く。太祝・宮闈令が神主をそれぞれ輿に奉じて出し、座に置く。次に懿祖以下の神主も献祖と同様に出す。鑾駕が至ろうとするとき、謁者・贊者がそれぞれ享官を引き、通事舎人が従享の群官・九廟子孫・諸方客使を分けて引き、みな門外の位に就かせる。鑾駕が大次の門外に至り輅を回して南向く。将軍が降り輅の右に立つ。侍中が輅を降りることを請う。皇帝は輅を降り輿に乗って大次に至る。通事舎人が従享の文武五品以上の官を門外の位に就かせる。太楽令が工人・二舞を率いて入る。謁者が司空を引いて入り位に就かせる。奉禮郎が「再拝」と言い、司空が再拝し東階より登って堂上を掃除し、降りて下で楽県を行う。まず司空が楽県を行う間、謁者・贊引がそれぞれ享官を引き、通事舎人が九廟子孫・従享の群官・諸方客使を分けて引き入って位に就かせる。皇帝が大次に半刻ほど留まり、侍中が「外辦」を版奏する。皇帝が出る。太常卿が皇帝を引いて廟門の外に至り、殿中監が鎮珪を進め、皇帝は鎮珪を執る。近侍の者が従い入り、皇帝は版位に至り西向きに立つ。太常卿が前に「再拝」と言う。皇帝が再拝する。奉禮郎が「衆官再拝」と言い、在位の者がみな再拝する。太常卿が前に「有司謹んで具う、行事を請う」と言う。協律郎が麾を挙げ、柷を鼓し、楽舞が九成する。麾を偃せ戞敔して楽が止む。太常卿が「再拝」と言い、皇帝が再拝する。奉禮郎が「衆官再拝」と言い、在位の者がみな再拝する。皇帝は罍洗に詣で、侍中が匜を取り興って水を沃ぎ、また盤を取り興って水を承ける。皇帝は珪を搢し手を盥う。黄門侍郎が篚から巾を取り興って帨を受けて巾を篚に奠じる。また篚から瓚を取り興って進め、皇帝が瓚を受ける。侍中が水を酌み盤を奉じ、皇帝が瓚を洗う。黄門侍郎が巾を授けるのは初めと同様。皇帝が瓚を拭い阼階より登り、献祖の尊彝の所に詣でる。尊を執る者が冪を挙げ、侍中が鬱酒を酌むのを賛け、献祖の神座前に進み北向きに跪き、鬯を地に祼して奠じ、俛伏して興り少し退いて北向きに再拝する。また懿祖の尊彝の所に詣で、尊を執る者が冪を挙げ、侍中が坫から瓚を取って進め、皇帝が瓚を受ける。侍中が鬱酒を酌むのを賛け、懿祖の神座前に進み南向きに跪き、鬯を地に祼して奠じる。次に太祖以下を祼するのはみな懿祖と同様。皇帝は阼階より降り版位に復する。まず群官が再拝すると、祝史がそれぞれ毛・血及び肝・膋の豆を奉じ東門の外に立ち、齋郎が爐炭・蕭・稷・黍をそれぞれ奉じてその後に立ち、次第に正門より入り太階より登る。諸太祝が各々毛・血・肝・膋を階上で迎え取り、神座前に進み奠じる。祝史は退いて尊の所に立ち、齋郎は爐炭を神座の左に置き、蕭・稷・黍はそれぞれその下に置き、阼階より降りて出る。諸太祝は肝・膋を取り爐で燔り、尊の所に還る。