晉書卷百二十六 載記第二十六 禿髮傉檀
禿髮傉檀(?–415年)。烏孤・利鹿孤の弟で、利鹿孤の死後を継いで南涼三代目の王となった。姚興に臣従しつつ姑臧を巡って策略を巡らせ涼王を自称したが、沮渠蒙遜・赫連勃勃との抗争に苦しみ、最後は乞伏熾磐に楽都を急襲されて降伏、まもなく毒殺され南涼は滅亡した。
即位と乞伏熾磐との関係
- 傉檀は幼少から機知に富み、父からも「傉檀は他の兄弟より優れる」と評された。利鹿孤の代から軍国の実務を委ねられ、元興元年(402年)涼王を僭称し樂都に遷都、弘昌と改元。
- 乞伏乾歸の子熾磐が人質として晋興にいた頃逃亡し捕らえられたが、傉檀は孝心を汲んで助命した。後年熾磐が再び逃亡した際も妻子を返している。
姚興との関係と姑臧攻略
- 姚興から車騎将軍・廣武公に任じられ、樂都に大城を築いた。姚興の将齊難が呂隆を姑臧から迎える際、傉檀は昌松・魏安の守備を退いて衝突を避けた。
- 姚興の涼州刺史王尚の使者宗敞が来訪、傉檀は敞の亡父燮との旧縁を語り交誼を深めた。姚興を警戒しつつ密かに姑臧攻略を図り、年号を廃して臣従の姿勢を示しつつ大城の建設理由を弁明、姚興も納得した。
- 将文支に南羌・西虜を討たせて大破、姚興に涼州の割譲を求めたが許されず、代わりに常侍・車騎大將軍・涼州刺史などに任じられ姑臧に鎮した。宗敞に涼州経営の方策を問い、人材登用と農戦・文教の両立を勧められ大いに悦んだ。
- 史暠を姚興のもとに派遣、興との問答で「涼州平定は実質傉檀兄弟の功績」と評され、暠は騎都尉を授かった。傉檀は宣德堂で孟禕の諫言(信順・仁義こそ久安の道)に感じ入り、姚興に制されつつも王者の儀礼を保った。
沮渠蒙遜・赫連勃勃との抗争
- 西平・湟河の諸羌3万余戸を四郡に移し、5万余の兵を集めて沮渠蒙遜を討つが均石で敗れる。西郡が蒙遜に陥落。さらに赫連勃勃と陽武で戦い大敗、将佐十余人を失い自身も危うく捕らわれかけた。国内百姓を姑臧に強制移住させたため騒乱が起き、屠各成七兒の反乱(張猛の説得で鎮圧)や梁裒・邊憲ら七人の謀反(誅殺)が相次いだ。
- 姚興は陽武の敗戦と内乱を見て観察の使者韋宗を送るが、傉檀の弁舌に感嘆し「未だ図りがたし」と復命。興は将姚弼らに姑臧を攻めさせるが、傉檀は内応者を粛清(5千余人処刑)した上で撃退し、姚弼を包囲するも堰の決壊で持久策が破れ、最終的に姚顯の撤退で終息した。
- 傉檀は涼王位を僭称、嘉平と改元、百官を整備。夫人折掘氏を皇后、世子武台を皇太子とした。その後も蒙遜との攻防が続き、太史令景保の凶兆の諫言を退けて出兵した窮泉の戦いで大敗(景保は蒙遜に捕らえられるも、婁敬・田豐の故事を引いて助命された)。
樂都遷都とその滅亡
- 蒙遜の攻勢で姑臧が動揺し、内応・離反が相次いだため傉檀は樂都に遷都、姑臧に残した将は相次いで蒙遜に降った。吐谷渾樹洛幹の来襲は太子武台が撃退に失敗。蒙遜との戦いでも屈右・伊力延の進言が分かれる中、天候不順もあって大敗し樂都を包囲された(子染幹を人質に和議)。
- 邯川護軍孟愷の諫言を容れ鎮南文支を戒めるも、文支は後に湟河を蒙遜に降した。蒙遜の再度の樂都包囲は太尉俱延を人質にして撤兵させた。
- 傉檀は孟愷の反対を押し切り乙弗討伐で大勝(牛馬羊40万余獲得)したが、その隙に乞伏熾磐が樂都を急襲。太子武台の判断ミス(晋人を城内に閉じ込め猜疑を招いた)もあって10日で陥落。傉檀は西征先から帰還できず、将士は離散して最後は中軍紇勃・後軍洛肱・安西樊尼・散騎侍郎陰利鹿のみが従った。傉檀は「蒙遜・熾磐いずれも自分に臣従したことがある身、いまさら頼れない」と述べ、最後は熾磐に投降。陰利鹿だけが最後まで付き従った。
- 樂都陥落後も浩亹を守っていた尉賢政は傉檀の生死不明を理由に抵抗を続けたが、傉檀の投降を知り降伏。熾磐は傉檀を驃騎大將軍・左南公に封じたが、1年余りで毒殺した(享年51、在位13年、偽諡景王)。子武台も後に熾磐に殺された。他の一族(保周・臘・覆龍・副周・承缽ら)は沮渠蒙遜のもとへ逃れ、のち北魏に帰順しそれぞれ王侯に封じられた。
- 烏孤の即位(隆安元年・397年)から傉檀の滅亡(義熙10年・414年)まで三代19年。
史論
- 史臣は、禿髮氏が代々辺境に雄拠し、烏孤が苻渾の策で不服の諸部を討ち、利鹿孤が史暠の言により学校を建てて子弟を教育したことで、河右に版図を開き強国と渡り合えたと評す。道は人によって弘まるものだと総括する。
- 傉檀については、連戦連勝の勢いと二人の兄の遺産を受け継ぎ、呂氏を策略のみで下し姑臧を無傷で得た武略は先人に比肩するとしつつ、地位に驕り兵を窮めて私欲を逞しくした結果、蒙遜に領土を奪われ赫連勃勃に勢いを挫かれて国を滅ぼし身を失った。それでもなお命を長らえたのは幸運というべきで、宋の殤公・楚の霊王の好戦の末路と同じ運命を辿ったと評す。
- 賛にいう、禿髮兄弟は群虜の中で雄を称し、河外に領土を開いて西土を清めた。傉檀は傑出した英才として一時代を駆けたが、兵を窮め武を黷したために国を喪い名声を落とした。