晉書卷百二十 載記第二十 李庠

軍才に優れた特の弟、讒言により誅殺

  • 李庠、字は玄序、特の第三弟。若くして烈気で知られ、郡督郵・主簿を歴任し評判を得た。元康四年(294年)孝廉に推挙されるも就かず、弓馬の才で良将にも推されるが辞退、州が文武兼備で秀異に推挙しても病と称して固辞したが強く求められ已むを得ず中軍騎督を拝命した。弓馬に優れ膂力抜群で文鴦(三国期の勇将)に比された。洛陽の乱を理由に病と称し官を去った。任侠を好み困窮者を助け州党に慕われた。
  • 六郡流民の梁・益への避難行に際し、飢病者を常に保護・救済し人望を集めた。蜀では趙廞に深く評価され「李玄序は当代の関羽・張飛」と称された。廞の叛意に際しては腹心として部曲督に任じられ六郡の壮勇一万余を招集、叛羌討伐の功で威寇将軍・赤幢曲蓋・陽泉亭侯を与えられ銭百万・馬五十匹を賜った。しかし讒言(杜淑・張粲の進言)により大逆の罪で誅殺され、六郡の士庶は皆涙を流したという。時に55歳であった。