姚萇・姚興二代を支えた名臣
- 尹緯、字は景亮、天水の人。若くして大志を抱き産業を営まず、身長八尺・腰帯十囲の魁偉な体格で、宰相の功業を語る書を読むたびに感嘆した。苻堅の代、姚襄への降伏を理由に尹氏一族は禁錮されたが、緯は晩く吏部令史となり、志の高さで周囲に一目置かれた。堅の末年、祅星が東井に現れたのを見て堅の滅亡を悟り喜びと同時に涙した逸話(友人桓識との問答)が伝わる。
- 姚萇が馬牧に奔ると尹詳・龐演らと図って萇を盟主に推し、佐命の元勲となった。萇が苻堅を破ったのち堅に禅譲を説かせた際、堅は緯の官位の低さに驚き「宰相の才、王景略の類なるに朕はそれを知らなんだ、亡ぶのも当然か」と嘆じた。
- 剛直清廉な性格で張子布を慕った。萇が寵愛した馮翊段鏗の不正を諫めて容れられず、衆前で辱めたことから萇に「学者を憎むのか」と問われ「鏗の不正を憎むのみ」と答えた問答や、萇が自らを蕭何になぞらえた際「陛下は貴い身から起ったゆえ臣は賤しいまま」「漢祖が蕭何に勝る所以は段鏗の類を遠ざけた点にある」と応じ、萇が鏗を北地太守に左遷した逸話も記される。
- 萇の死後、姚興を輔けて苻登を滅ぼし興の覇業を支え、輔国将軍・司隸校尉・尚書左右僕射・清河侯を歴任した。友人隴西牛壽との問答(時世に応じ功名を立てるか隠棲するかの節義論)に対し「太祖を輔翼し八百年の基を建て、陛下の代に苻登を滅ぼし秦雍を清めた、死しては廟庭に饗けられる、古の君子に恥じぬ」と応じ、興を大いに喜ばせた。死去の際、興は深く悼み司徒を追贈し忠成侯と諡した。