卜珝
- 卜珝、字は子玉、匈奴後部の人。若くして『易』を読むことを好み、郭璞は彼を見て「私には及ばないところだ、しかしなぜ兵の厄を免れられないのか」と嘆じた。珝は「その通りです。私の大厄は41歳にあり、卿・将の位にあって禍を受けるでしょう。そうでなければ猛獣に害されるでしょう。あなたもまた良い最期を迎えるようには見えません」と答えた。璞は「私の禍は江南にある、大変苦心しているが免れる兆しは見えない。それでも南にいればまだ命を延ばせるが、ここに留まれば長くて数ヶ月だろう」と言った。珝は「あなたは公の官吏になるべきではありません、それで免れられるでしょう」と言うと、璞は「私が官吏を免れられないのは、あなたが卿・将を免れられないのと同じだ」と答えた。
- 珝は「私にはたとえ帝王の子となる相があっても、二つの都(洛陽・長安)にはもう仕えないでしょう。琅邪(琅邪王=後の元帝)にこそ仕えるべきです、あなたは謹んで彼に仕えなさい。晋の祭祀を主る者は必ずこの人物でしょう」と言った。珝は龍門山に隠れた。劉元海(劉淵)が皇帝を僭称した際、大司農・侍中として召そうとしたが、病を理由に固辞した。元海は「人にはそれぞれ心がある、卜珝は私の朝廷にいたくないのだ、高祖の四公(商山四皓)と何も変わらない、その高い志を遂げさせよ」と言った。
- 後に再び光禄大夫として召され、珝は使者に「そこは私の死に場所ではない」と語った。劉聡が偽位を継ぐと太常として召された。当時、劉琨が并州に拠っており、聡が「いつ平定できるか」と問うと、珝は「并州は陛下の分野です、今年必ず克服できるでしょう」と答えた。聡は戯れに「先生自ら一度出向いてもらいたいのだが」と言うと、珝は「私が急いで支度をせずに参ったのは、まさにこの遠征のためです」と答えた。聡は大いに喜び、珝を使持節・平北将軍に任じた。
- 出発に際し、妹に「この遠征では、死は私の運命であり、後で騒がぬように」と告げた。晋陽を攻めた際、劉琨に敗れ、珝はまず逃走したが、彼の元帥に殺された。