龔玄之
- 龔玄之、字は道玄、武陵漢寿の人。父の登は長沙相・散騎常侍を歴任した。玄之は学を好み物静かで、貧しい暮らしに安んじた。州から秀才に推され、公府に招かれたが応じなかった。孝武帝は詔を下した。「賢明な王が世を治めるには、必ず隠れた人材を捜し求めるものである。それゆえ谷間の流れに繋がれた馬の詩があり、丘園に束帛を捧げる光景がある。譙国の戴逵、武陵の龔玄之はともにその操を高く保ち、仁に依り芸に遊び、自らを清く保ち、学問は儒学に広く根ざしている。朕は久しく心を虚しくして彼らを待っている。諸君は、その賢才を胸に秘めたままにするつもりだろうか。私は彼らの優れた言葉を汲み、誠意をもって謙虚に議論を求めたい。ともに散騎常侍とし、国子博士を兼ねさせよ。所在の地に礼を整えて彼らを送り出すよう命じ、通常の手続きに従うことなく、この待ち望む心をこれ以上長引かせてはならない」。郡県は強く迫ったが、重病を理由に固く辞退し、赴かなかった。まもなく没した。時に58歳。
- 弟子の元寿もまた徳と操があり、高潔に生き仕官せず、秀才に推挙されても、州の招聘があっても、いずれも病と称して応じなかった。孝武帝は太学博士・散騎侍郎・給事中としてたびたび召したが、ついに応じなかった。家で没した。