晉書卷九十四 列傳第六十四 魯褒

魯褒

  • 魯褒、字は元道、南陽の人。学を好み博識で、貧しく質素な暮らしの中で自立していた。元康年間以後、綱紀が大いに崩れると、褒は時世の貪欲さと卑しさを嘆き、姓名を隠して『銭神論』を著しこれを風刺した。
  • その大意は、銭の形には乾坤(天地)の象があり、内は方形、外は円形であるとし、その積む姿は山のごとく、流れる姿は川のごとしとする。動と静に時があり、行くと蔵すに節度があり、市場での取引に便利で、目減りの心配もない。壊れにくいさまは長寿を象徴し、尽きないさまは道を象徴し、それゆえ長く久しく、世の神聖な宝であり続けるとする。人は銭を兄のように親しみ「孔方」と呼ぶ。これを失えば貧しく弱くなり、これを得れば富み栄える。翼なくして飛び、足なくして走り、厳しい顔を和らげ、開きにくい口を開かせる。銭の多い者は前に、少ない者は後ろに置かれる。前にいる者は主人となり、後ろにいる者は僕となる。主人は豊かで余りあり、僕は困窮して足りない。『詩経』に「富める人は幸いなるかな、この孤独な者を哀れむ」とある通りである。
  • 銭とは「泉」に通じ、遠くとも至らぬところなく、幽なるところにも及ばぬところがない。都の官人は経書の講義に疲れ、清談を聞くのに飽きて対座して居眠りするが、我が兄(銭)を見れば驚いて目を見張らぬ者はない。銭の恵むところは吉ならざるはなく、なぜ読書してから富貴を得る必要があろうか。昔、呂公は空の招待状だけで喜び、漢の高祖はわずか二百銭でこれを取り込んだ。卓文君は粗末な衣を脱いで錦繍を着、司馬相如は高い車に乗り屠殺人の前掛けを脱ぎ捨てた。官位が高まり名が顕れたのは、みな銭のもたらすところである。空の招待状すら虚しく効果があったのだから、まして実質を持つものはなおさらである。二百銭はわずかであったが、それによって親密さを得た。これによって見れば、銭は神物と呼ぶべきものである。徳なくして尊ばれ、権力なくして権勢を持ち、金の門を押し開き紫の御殿に入る。危険を安全に変え、死を生に変え、貴きを賤しきに、生を死に変えることさえできる。それゆえ争いは銭なくして勝てず、行き詰まりは銭なくして打開できず、怨みは銭なくして解けず、良い評判は銭なくして生まれない。
  • 洛陽の朱衣(高官)たちは、権勢ある士人たちで、我が兄(銭)を愛し、みな私(銭)に頼っている。私の手を握り、終始抱きしめ、優劣も年齢も問わない。賓客が車輪の輻のように集まり、門はいつも市場のように賑わう。諺に「銭には耳はないが、鬼をも使うことができる」という。今の人々はただ銭のみを頼りとする。それゆえ「軍に財がなければ兵は来ず、軍に賞がなければ兵は進まない」と言われる。仕官するのに仲介者(コネ)がなければ田舎に帰った方がましである。仲介者があっても我が兄(銭)がなければ、翼なくして飛ぼうとし、足なくして歩こうとするのと変わらない、と結ぶ。
  • 時世の腐敗を憎む者たちはこぞってこの文章を伝えた。褒は仕官せず、その最期を知る者はいなかった。