徐苗
- 徐苗、字は叔冑、高密淳於の人。代々受け継がれ、皆博士から郡守に至った。曽祖父の華は極めて高い孝行があった。あるとき宿泊した亭舎で、夜に神人が「この亭は崩れるだろう」と告げ、急いで出て難を免れたという逸話がある。祖父の邵は魏の尚書郎となり、廉直で知られた。
- 苗は若くして貧しく、昼は鋤鍬を執り、夜は書を誦した。二十歳になり、弟の賈とともに博士の済南の宋鈞に師事し、ついに儒学の宗となった。『五経同異評』を著し、また道家に依拠して『玄微論』を著した。前後の著述は数万言に及び、いずれも意味深いものであった。
- 性格は激しく、財より義を重んじ、人を見る目もあった。弟が口に癰(できもの)を患い膿んだとき、苗は自らそれを吸い出した。兄弟がみな早世したため、遺された孤児を養育し、その慈愛は州里に知られ、田宅・奴婢はことごとく彼らに譲った。
- 郷里で人が死ぬと耕作を止めて棺の準備を手伝い、門人が自宅で死ぬと講堂で殯(もがり)を行った。その行いはみなこのようであった。遠近の人々はその義に帰服し、その行いを手本とした。
- 郡の孝廉に推され、州から従事・治中・別駕に辟召され、異行に推挙され、公府から博士として五度、さらに二度召されたが、いずれも応じなかった。武帝・恵帝の時代、上京した計吏(会計報告官)に、帝はそのたびに苗の安否を尋ねた。
- 永寧2年(302年)に没した。遺言により、頭巾と衣を洗い、楡の棺に磚(レンガ)を添え、覆いのない車で遺体を運び、葦の敷物と土器のみを用いる質素な葬儀とした。