晉書卷七十九 列傳第四十九 謝尚

幼少期の逸話

  • 謝尚、字は仁祖、豫章太守謝鯤の子。幼くして至情があった。7歳で兄を喪い礼を超える哀慟を示した。8歳で神悟が早熟。鯤がかつて尚を連れて客を送った際、ある人が「この子は一座の顔回だ」と言うと、尚はすぐさま「席に尼父(孔子)がいなければ、どうして顔回と見分けられましょうか」と答え、席の賓客は皆感嘆した。
  • 10余歳で父の喪に遭い、丹陽尹温嶠が弔問に訪れた際、尚は極めて哀しく号泣したが、まもなく涙を収め訴えを述べ、その挙動が並みの子供と異なっていたため嶠は大いにその才を認めた。
  • 成長すると開放的で穎秀、弁舌と悟りに絶倫だったが細行を気にせず流俗に従わなかった。刺繍のある袴を好んで着て諸父に叱られると自ら改め、以後知られるようになった。音楽に優れ諸芸に通じた。司徒王導は深くこれを認め、王戎になぞらえ常に「小安豊」と呼び、掾に招いた。父の爵咸亭侯を継いだ。初めて府に伺候した際、導が「君は鴝鵒(むくどり)の舞ができると聞く、一座が期待している、本当か」と問うと、尚は「よろしい」と答えて衣幘のまま舞い、導は座の者に手拍子を打たせ、尚は傍若無人にその中で舞った。