晉書卷七十一 列傳第四十一 王鑒

出自と杜弢平定への献策

  • 王鑒は字を茂高といい、堂邑の人。父の王濬は御史中丞を務めた。王鑒は若くして文筆で著名となり、初め元帝の琅邪国侍郎となった。杜弢の乱で江湘が荒廃し王敦も制圧できず朝廷が深く憂慮した際、王鑒は帝に親征を勧める長い上疏を奉った。
  • その内容は、江南の国力窮乏と辺境の危機を説き、皇帝自ら江州に赴いて将士を励まし、要害を固めつつ機を見て一気に討つべきと提言するものであった。漢高祖・光武帝の親征、魏武帝の柳城遠征、劉備・孫権・袁紹・劉表の得失などの歴史的先例を多く引いて、君主自らの出陣がなければ大功は成らないと強調した。また夏の暑さを避け秋の到来を待って進軍すべきとも述べた。
  • 上疏は帝に深く納れられ、中外に戒厳を命じ帝自ら杜弢征討に赴こうとしたが、まもなく弢が平定されたため中止された。
  • 中興建国後、駙馬都尉・奉朝請を拝し、永興令に出補した。大将軍王敦が記室参軍に招いたが、赴任前の享年41で卒去した。文集が世に伝わった。
  • 弟の王濤と甥の王戭はともに才筆があった。濤は字を茂略といい、著作郎・無錫令を歴任した。戭は字を庭堅といい、著作郎となった。ともに早世した。