出自と『荘子』注をめぐる評価
- 郭象、字は子玄。若くして才理に優れ、『老子』『荘子』を好み清言に優れた。太尉王衍は常に「象の語るのを聞くと、まるで懸河が水を注ぐように尽きることがない」と評した。州郡の招聘に応じず、常に閑居して文論を自ら楽しんだ。のち司徒掾に招かれ、しだいに黄門侍郎に至った。東海王司馬越が太傅主簿に招き大いに信任し、そのまま権勢を握って内外に権威を振るったため、世の評判は象から離れた。永嘉末、病により卒去。碑論十二篇を著した。
- これより先、『荘子』に注をつけた者は数十家あったが、誰もその要旨を極めることができなかった。向秀が旧注の外に独自の解義を著し、その妙趣を演じて玄風を大いに興したが、『秋水』『至楽』の二篇が未完のまま秀は卒去した。秀の子はまだ幼く、その注釈は散逸したが、別本として世に伝わるものもあった。郭象は人柄が薄く、秀の注が世に広まっていないのに乗じてこれを自らの注として盗み、自ら『秋水』『至楽』の二篇を補い『馬蹄』篇も改めた他は、他の篇はところどころ文句を整えたにすぎなかった。その後、向秀の注の別本が世に出たため、今では向秀・郭象二種の『荘子』注が存在するが、その内容は本来一つのものである。