晉書卷四十八 列傳第十八 段灼

出自と経歴

  • 段灼、字は休然、敦煌の人。代々西土の著姓で、果断・剛直で弁舌に優れた。若くして州郡に仕え、鄧艾の鎮西司馬に累進し、艾に従って蜀を破る功を立て関内侯に封じられ、議郎に累進した。武帝即位の後、灼は上疏して鄧艾のために弁護した。

段灼の上奏(1)――鄧艾の名誉回復

  • 要旨:亡き征西将軍鄧艾は忠誠を懐きながら反逆の汚名を着せられ、巴蜀を平定しながら三族を誅された。艾の反乱は、その性格が剛直・性急で功を誇り朋輩と協調できず雅俗に軽々しく逆らったため誰も弁護しなかっただけで、実際には反逆していないと述べる。
  • 艾はもと屯田の犢を掌る農吏であったが、宣帝(司馬懿)に見出され宰府の職に至り、内外の官・文武の任のいずれでも功績を挙げ、宣帝の人を見る目を証明した。洮西の戦いで官軍が敗れ刺史王経が包囲された際、艾が兵馬を授かり狄道の包囲を解いた。その後上邽に留まり、士気が挫けた官軍を立て直すため区種の法(集約農法)を自ら実践し、将士に先んじて労役を担い、落門・段谷の戦いで少数で多数を破り首級万計を挙げた。蜀征討を任され、険阻な蜀地を2万に満たない兵で越えて劉禅を降し、短期間で巴蜀を平定した。
  • 艾は既に功名を成し、70の老人として何を求めるものもなかった。劉禅の降伏後、遠郡が未だ帰服していなかったため、艾は詔を矯めて承制(皇帝の意を代行する権限)を行使したが、これは非常時の権宜であり古の義に合致するもので、動機を推し量って罪を定めるべきである。艾の威名を恐れた鎮西将軍鍾会が天下を狙う野心から艾を陥れたのであり、艾は詔を受けると直ちに縛につき逃げ隠れしなかった。鍾会誅殺後、艾の部下たちが自ら艾を追い檻車を壊して救出したため、艾は窮地でかえって狼狽したにすぎず、腹心を語らって謀反を企てた形跡もなく、死に臨んで悪言も発しなかった。
  • 陛下(武帝)の弘量により、誅を受けた家でも登用を禁じられておらず、艾にも後嗣を立て祭祀を絶やさぬよう望む。秦の白起、呉の伍子胥がいずれも冤罪を憐れまれ祠を立てられた例を引き、艾の門生・故吏に屍柩を収めさせ旧墓に葬らせ田宅を返し、蜀平定の功に応じて後嗣を封じ、諡を定めて死者の恨みを晴らすべきだと訴える。
  • 帝は上表を見て大いにその意を嘉した。灼はさらに時宜の策を陳べた。

段灼の上奏(2)――封建策

  • 要旨:天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばないとし、人心の和を得れば小城でも守れ、失えば堅城も守れないと説く。魏晋の乱世で民心が離れた今こそ、恩を推して民心を和合させることが要であり、太宰・司徒・衛将軍の三王は洛陽に留めて鎮守させ、その他の諸王で15歳以上の者は国に赴かせ、文武を兼ねた中郎・傅相を選んで補佐させ、諸国が自ら軍備を整え恩信を広げれば「磐石の宗」として天下がその強さに服すると説く。後世の強大化を懸念するなら、あらかじめ制度を定めて推恩によって子弟に分封させれば自然に細分化されると述べる。
  • また、漢の呂氏の乱の際に硃虚侯・東牟侯という内なる親族と九国の諸侯という外なる勢力があったため事なきを得た例を引き、魏が諸王を禁錮し親戚を隔絶したのが不祥の極みであったと批判する。さらに近年五等爵の諸侯が功績によらず一律に授爵されている現状を「経久の制にあらず」と危惧し、九族の親睦・百姓の協和こそ国の興隆の基であり、それが崩れることが衰亡の因であると説く(伊尹が夏を離れ殷に、呂尚が殷を離れ周に帰した故事を引く)。

段灼の上奏(3)――蜀討伐の功賞をめぐる不公平

  • 要旨:かつて蜀討伐で募った涼州兵・羌胡の勇士5000余人は皆功第一等でありながら、乙亥詔書により州郡将督は中外軍と同等の扱いを受けず封を得られなかった。金城太守楊欣の部下30人のみ江由攻略の功で封を得たが、金城以西の他部隊は一人も封じられなかった。中軍に属せば下功でも侯となり、州郡に属せば高功でも封じられないのは、近きを厚くし遠きを薄くしないという道理に反すると訴え、これらの功臣にも爵封を与えるべきと説く(『詩経』の屍鳩の詩「その子七つ、淑人君子はその儀一つなり」を引く)。
  • 灼のたびたびの上奏は帝の目に留まったが、身分が微賎で昇進が叶わなかったため、長期休暇を取って帰郷することとした。去るに際し、息子を遣わして上表させた。

段灼の上奏(4)――辞去に際しての心境

  • 要旨:三代にわたり恩を受けながら功績を挙げられず数年沈淪した身を恥じ、忠臣が君に対するのは孝子が親に対するのと同じで、進退はいずれも官禄への貪欲からではないと述べる。故郷に長らく赴任し帝にまみえられなかったこと、功名を竹帛に残せなかったこと、聖明の君に仕えながら力及ばぬこと、両親・兄弟に先立たれ孝敬を尽くせなかったこと、中年で病を得たことの「五恨」を挙げて自らを悼む。

段灼の上奏(5)――封建・人材登用の総括

  • 要旨:「華言は虚、至言は実、苦言は薬、甘言は疾」の格言を引き、世に天下太平と言われるが、瑞祥(霊亀・神狐・仙芝・麒麟・鳳凰)が現れていない以上まだ太平とは言えないとする。漢の婁敬の諫言、陸賈の『新語』、田肯の一言の計といった漢高祖が広く諫言を容れた故事を挙げる。
  • 孟子・荀子の禅譲論を引きつつ、魏文帝が堯舜に自らをなぞらえて禅譲の形式のみを整え、骨肉の恩・藩屏の固めを忽せにしたため天下を心服させられなかったと批判し、陛下(武帝)は禅譲において魏文帝と同じ轍を踏まぬよう「至重・至大・至衆」の三至を備えて統治すべきと説く。今の諸王は建国の名はあっても要害の実がなく、蜀地の要害には親戚子弟の守りがないと指摘する。
  • 漢文帝の代に賈誼が「積薪の上に火を抱いて寝る」ような危うさを説いた例を引き、居安思危を説き、魏の弊法を除いて新政を布くべきとする。
  • 五事にわたり具申する。
  • 賢相の登用の重要性を、堯舜と重華(舜)、夏の桀・殷の紂と伊尹・比干、斉桓公と管仲・豎貂、秦の穆公から始皇までの人材登用、秦の滅亡と項羽の失策、漢高祖の成功、漢成帝の代の安昌侯張禹の佞臣ぶりと硃雲の直諫、王莽の簒奪に至る歴代の興亡を長大に論じ、賢を用いれば興り不肖を用いれば亡ぶという理を説く。
  • 九品官人法の弊害を指摘し、上品を得る者が公侯の子孫か権門の兄弟に偏っている現状を批判し、貧門の俊才が埋もれていると訴える。
  • 養老の制を広げるべきと説く(田子方が老馬を養った故事、孟子の「吾が老を老として人の老に及ぼす」を引く)。
  • 信賞の重要性を説き、自らが西郡太守の時、羌胡の志願兵を募る際に信義をもって恩賞を約束し成果を挙げたにもかかわらず、州郡の督将は封を受けたが羌胡の勇士は論功されなかった不公平を訴える。
  • 異姓に土地を専封させず同姓を連城に据えることで神器(帝位)が他氏に移らぬようにすべきとし、周を滅ぼしたのが秦、漢に代わったのが魏でいずれも異姓であった例を挙げる。晉の諸王二十余人に対し五等の封国が五百余りに及ぶ現状は封国が小さすぎるとし、諸王の国を大きくし兵を増やして藩屏を固めるべきと説く。
  • 灼の上書は帝の目に留まり異例と評され、明威将軍・魏興太守に抜擢された。在官のまま卒去した。