晉書卷三十三 列傳第三 鄭沖

生涯

  • 字は文和、滎陽開封の人。寒微の出ながら節操を保ち、経史に通じ儒学・諸子百家に通暁した。魏文帝の太子時代に文学に任じられ、尚書郎を経て陳留太守。儒雅を徳とし、簡素な生活で世に重んじられた。大将軍曹爽に召され従事中郎、散騎常侍・光禄勲を歴任。嘉平3年(251年)司空。高貴郷公が『尚書』を講じた際は経典を執って親授し、賞賜を受けた。司徒、常道郷公(元帝)即位後は太保として三司の上位に置かれ、寿光侯に封じられた。文帝(司馬昭)輔政期、蜀平定後の礼儀・律令制定にあたり、賈充・羊祜らはまず鄭沖に諮った上で施行した。
  • 魏帝の禅譲に際し策を奉じた。武帝践祚後、太傅を拝命し公に進爵。司隸李憙らが病を理由の免官を奏したが帝は許さず、鄭沖自身が辞位を願っても優詔で慰留された。泰始6年(270年)、詔により何曾・荀顗・王沈・羊祜ら功臣と並び顕彰され、国に郎中令を置くなどの礼遇を受けた。
  • 泰始9年(273年)、再度致仕を願い、翌年薨去。太傅を追贈され、諡は成。咸寧初年、安平王司馬孚ら12人と共に太廟に配食された。
  • 若い頃、孫邕・曹羲・荀顗・何晏と共に『論語』の諸家注釈から善いものを集め『論語集解』を編み、魏朝に奏上して後世に伝わった。子はなく、甥の鄭徽を嗣子とし、平原内史に至った。徽の子鄭簡が跡を継いだ。