清史紀事本末台湾・朱一貴の乱(臺灣朱一貴之亂)
康熙六十年、台湾で朱一貴が知府王珍の苛政に苦しむ民と共に挙兵し「中興王」を称し全台湾を制圧するが、清の藍廷珍・施世驃の反攻によりわずか2か月で鎮圧されるまでを描く。
年表(1件)
- 康熙六十年1721年朱一貴が台湾で挙兵し全島を制圧するが藍廷珍らの反攻で鎮圧される
康熙六十年(1721年)
- 夏四月、台湾で朱一貴が挙兵。総兵歐陽凱、水師副将許雲、南路参将苗景龍、遊撃劉得紫・遊崇功、千総陳元らが戦死する。一貴は元衙役で、知府王珍の苛政に苦しむ民が黄殿・李勇・呉外・鄭定瑞らと図り、明の遺裔を装える朱姓の一貴を担いで「中興大元帥」と称し挙兵。清の遊撃周応龍の対応の遅れもあって勢力を拡大、清の増援も各地で敗退し、内応により総兵歐陽凱らが殺され、清の官員は澎湖へ敗走。わずか数日で全台湾が一貴の手に落ちる。
- 五月、一貴が「中興王」を称し「永和」と改元、官職を大盤振る舞いするが、民間では早くもその末路を予感する童謡が流行った(「頭載明朝帽、身穿清朝衣。五月称永和、六月還康熙」)。
- 六月、南澳鎮総兵藍廷珍が水師提督施世驃と共に反攻、澎湖で動揺していた官民をまとめて士気を立て直し、一貴・杜君英の内部対立にも乗じて台湾府城を攻略。清軍は殺戮を極力抑える方針を取り、わずか数日で府城を奪還。捕らえた反乱の首謀者らは凌遅刑に処される。
- 閏六月、藍廷珍が台湾南北を平定、朱一貴・杜君英らが捕らえられ北京に送られ処刑、台湾の乱は鎮圧される。