清史演義第九十九回 総理を易え内閣を重組す/漢陽を奪い復た南京を失う (易總理重組內閣 奪漢陽復失南京)
さらなる独立の連鎖
- 広西では巡撫沈秉坤が自ら独立を主唱し、藩司王芝祥・提督陸栄廷らに都督の座を譲って郷里へ帰るなど、清潔な身の引き方を見せる。
- 広東は張鳴岐の去就が定まらぬまま独立し、後に革命党の胡漢民が都督となる。安徽も巡撫朱家寶が民に迫られ都督を引き受けるが、変乱の後は九江の馬毓寶に譲る。福建では総督松壽が服毒自殺し、将軍樸壽は徹底抗戦したが敗死、孫道仁が都督となった。
清廷のさらなる動揺
- 山東巡撫孫寶琦(慶王の姻戚)までもが独立を上奏し、攝政王・慶王は動揺する。実際は孫が軍民の圧力と朝廷への配慮の板挟みで苦慮した末の措置であった。
- 清の海軍艦隊十四隻が革命党員の内応により鎮江へ投降し、九江の馬毓寶に帰順する艦も現れるなど、清の海軍は瓦解する。
袁世凱の内閣
- ようやく袁世凱が北京に入り、攝政王と会談。軍資金として隆裕太后から慈禧の遺した内帑金を引き出させ、新内閣を組閣する(梁敦彦・趙秉鈞・厳修・唐景崇・王士珍・薩鎮冰・沈家本・張謇・楊士琦・達寿ら)が、多くの人材が就任を固辞した。奉天・吉林・黒竜江にも動揺が広がる中、南京では第九鎮の徐紹楨が包囲戦を進めていた。
- 袁は「まず武漢を叩いて威を示す」との戦略を立て、馮国璋・段祺瑞に漢陽攻撃を命じる。
漢陽の陥落
- 清軍と鄂軍(黄興指揮)は激戦を繰り返すが、清軍側についた張振臣(張彪の子)が炮台の砲弾を無力化する内応工作を行い、要衝の山々が次々に清軍の手に落ちる。総司令黄興は姿を消し、指揮系統が崩壊した鄂軍は漢陽を放棄、武昌へ敗走する。黎元洪は自ら出て兵民を鎮め、武昌の防備を固めた。
南京陥落と袁世凱の思惑
- 漢陽陥落の報に清廷が沸く一方、袁世凱は独自の思惑を抱く。革命党員の吳祿貞暗殺、四川独立と端方の横死などの急報が届くが、袁は動じず、南京救援の要請には「援兵なし」と返電して事実上見捨て、逆に漢陽戦線には停戦を指示する。
- 蘇浙聯軍(徐紹楨・林述慶・朱瑞・劉之傑ら)が南京を包囲し、烏龍山・幕府山などを次々に攻略。清提督張勛は愛妾小毛子への未練もあって士気を欠き、講和交渉の末、単身脱出して北へ逃走。南京は陥落し、林述慶が臨時都督となる。
- 上海では各省代表が集まり、黄興を大元帥、黎元洪を副元帥に推挙する。
評語
- 著者は「巧みに勝とうとする者は、弓を引いて発せず」の句を袁世凱に重ね、出馬を遅らせ、入京も遅らせつつ危機のただ中で悠然と構えたその手腕を評す。漢陽を得て南京を失うという結末も、袁が意図的に仕組んだ巧妙な処置であったとし、文脈の端々からその腹の内と著者自身の見識をうかがい知ることができると結ぶ。