清史演義第七十六回 山東に圏剿し悍酋擒と成る/河北解厳し渠魁自尽す (山東圈剿悍酋成擒 河北解嚴渠魁自盡)

賴文洸の再起と潘鼎新の伏兵撃破

  • 任柱の死後、捻軍は賴文洸を首領に推し、文洸は復讐を誓って海州で残兵をまとめ再起を図る。
  • 清軍には郭松林が新たに加わり、李鴻章から馬歩二十営を任される。潘鼎新軍は海州で賴文洸を上莊鎮で破り、五営の頭目李宗詩を降す。さらに山東諸城県境で捻軍の誘いに気づいた潘鼎新は、諸将に妄動を戒めて隊列を崩さず銃撃のみで応戦させ、捻軍の鋭気をくじいてから一気に反撃し大勝した。

賴文洸の敗走

  • 賴文洸は壽光・昌邑・濰の三県境を彷徨うが、濰県東北で清軍(劉銘伝軍)に阻まれ、東へ逃げるも郭松林軍に迎撃され、多くの兵を失いながらもかろうじて脱出する。
  • 各軍はなおも追撃し、膠州県小南溝、さらに壽光県境の南北洋河・巨彌河間に追い詰める。松林・鼎勛軍が東から、銘伝軍が西から攻め、賴文洸はついに馬匹・輜重を捨てて軽騎で逃走。
  • 沭陽・淮安・揚州と各地で清軍に阻まれながら瓦窯鋪まで追い詰められ、火を放って民家を焼き混乱に乗じて逃れようとするが、道員吳毓蘭の追撃を受け、馬を撃たれて落馬したところを生け捕られ、その場で処刑された。東捻はこれにより一掃される。

論功行賞と黄崖山の張積中

  • 東捻平定により、李鴻章・劉銘伝以下多くの将が加増を受け、曾国藩も体仁閣大学士に加え雲騎尉世職を賜る。
  • 一方、山東肥城県黄崖山に拠っていた「張聖人」こと張積中(本名は江南儀征県出身、太谷学派の周星垣の門人)も、捻軍と通じていたとして官軍に討たれ皆殺しにされる。
  • 張積中は占候の術で信望を集め、女弟子二人(素馨・蓉裳)を側に置いて深夜の秘祭を行うなど神秘的な振る舞いで信者を増やしたが、捻徒と結んで挙兵を企てたため、山ごと官軍に殲滅され、彼自身も女弟子二人も生死不明のまま消えた。

西捻の蔓延と左宗棠の登用

  • 東捻が衰える一方、西捻の張総愚は陝西で回民反乱(陝回の白彦虎、甘回の馬化隆)と結び勢力を広げる。討伐にあたった勝保は逮問の末に賜死、後任の多隆阿も戦傷死し、楊岳斌も病で辞任した。
  • 左宗棠が自ら志願して陝甘総督に任じられ、剿捻を先に、剿回を後にする方針を上奏し許可される。劉松山・郭寶昌・劉厚基らに捻軍討伐を命じる。

張総愚の京畿侵入と李鴻章の防衛

  • 張総愚は陝西から山西・河南・直隷へと転戦し保定・深州にまで迫り、京畿は戒厳となる。李鴻章が北上して西捻討伐にあたるが、劉銘伝は旧傷の再発で従軍できなかった。
  • 河北の平原は守りにくいため、堅壁清野の策で紳民に圩寨を築かせつつ、郭松林・潘鼎勛らが安平城下・饒陽県・滹沱河・大伾山・滑県で連戦連勝を収める一方、滑県での一戦では捻軍の誘敵計にかかり陳振邦が戦死するなど損害も出た。
  • 戦況の停滞を受け、左宗棠・李鴻章・官文・李鶴年らが処分を受けるが、左宗棠と李鴻章は運防を固める方針で連携し、天津に迫った張総愚を郭松林らが強行軍で先回りして撃退した。

運河防衛線の完成と西捻の壊滅

  • 李鴻章は滄州の捷地壩を拠点に減河沿いに長牆を築き、津防を固める。張総愚は撃退されて鹽山方面へ逃れるが、そこでも劉松山・張曜・宋慶の軍に阻まれ、荏平・高唐方面へ逃走。この頃には捻軍はすでに歩兵を失い、馬軍のみで移動する状態になっていた。
  • 沙河付近で郭松林らの奇襲を受けた捻軍は泥濘に阻まれて身動きが取れず、前後から挟撃されて大敗。張総愚自身も被弾して落馬するが、部下に助けられ辛くも逃れる。
  • その後も済陽・老海窪・徳州と追い詰められ、多くの頭目が討ち取られ、あるいは投降。ついに黄河・運河間で八方から包囲され、総愚の子・張葵児や兄弟一族が捕らえられ処刑される。総愚自身は徒駭河のほとりでわずか八騎となり、部下と永訣した後に投身自殺した。西捻はこれにて完全に平定され、李鴻章・左宗棠らは復職し、関係者に恩賞が下された。

陝甘・雲南の残る反乱

  • 陝甘の回民反乱はなお続き、左宗棠は五年以内の平定を約して再び陝西へ赴く。
  • 雲南でも回民反乱があり、雲貴総督潘鐸が馬栄に殺害されるが、代理布政使岑毓英が回酋馬如龍と結んで馬栄を討つ。毓英は黔苗の乱も鎮圧し、迤西の杜文秀の大軍が省都に迫った際も帰還して撃退し、雲南巡撫に昇進した。
  • 陝甘・雲貴の平定が見えてきたことで朝廷は緊張を緩め、慈禧太后が安得海という宦官を寵愛し、後に一波乱を招くことになる。

評語

  • 東捻・西捻は同質の存在であり、東捻を制した圏地策は西捻にも同様に有効だった。本回は東捻を詳しく、西捻を簡潔に描いたが、これは繁雑・重複を避けるためであり、東西の情勢が大略同じであることによる。
  • 洪秀全を大盗、東西の捻軍を流寇と位置づければ、いずれも国を害し民を苦しめた点で同罪であり、著者はこれを厳しく戒めるために本回を記した。張積中は言説こそ詭弁だが、その心底はなお罪深いため、あえて本回に付記し戒めとした。