清史演義第二十一回 故主を弑し悍将功を徼む/大憝を除き幼帝計を定む (弒故主悍師徼功 除大憝沖人定計)
桂王の最期
- 呉三桂と定西将軍愛星阿は緬甸へ進撃し、緬甸王に桂王の引き渡しを迫る。緬甸では内紛で新王が立ち、清への恭順を示すため桂王一行を捕らえて清軍陣営へ引き渡すことにする。
- 護衛の多くが殺され、馬吉翔・李国泰らは緬人に殺される。沐天波と将軍魏豹は最後まで抵抗して自刃する。
- 桂王は呉三桂に宛てて、明清の因縁と自らの半生を切々と綴った長い書状を送るが、呉三桂の心は動かない。桂王は緬兵に連行され、呉三桂の陣営に至る。
- 桂王と対面した呉三桂は一瞬怯む様子を見せるが、結局は雲南へ連れ帰り、朝廷の裁可を仰いだ末、篦子坡(後に「迫死坡」と改名)で桂王とその一族を絞殺する。桂王の幼い世子は死の間際に呉三桂を激しく罵った。
- これにより南明の福・唐・桂三王の系譜は完全に絶える。
李定国の死、張煌言の最期
- 李定国は桂王奪還を図るが果たせず、桂王の死を知って血を吐くほど嘆き、まもなく病没する。
- 東南では張煌言だけが抵抗を続けていたが、鄭成功の急死を知り落胆する。清側の計略で島から誘い出されて捕らえられ、杭州で降伏を勧められるも節を曲げず、処刑される。遺骸は杭州の鳳凰山に葬られた。
鄭氏の後始末と台湾
- 清は鄭芝龍とその子らを処刑する。鄭成功の子・鄭経は台湾に拠って抵抗を続ける。
鼇拜の専横
- 幼い康熙帝のもとで輔政する索尼・遏必隆・蘇克薩哈・鼇拜のうち、鼇拜が権勢を恣にし、他の大臣を圧倒するようになる。
- 鼇拜は正白旗と鑲黄旗の土地交換を強引に推し進め、これに反対した蘇納海・朱昌祚・王登聯を、皇帝の裁可を得ぬまま独断で処刑させてしまう。
- 康熙帝が親政を始めると、索尼の死後、蘇克薩哈は身の危険を感じて引退(先帝陵の守衛)を願い出るが、鼇拜はこれを口実に大逆の罪を着せ、康熙帝の反対を押し切って蘇克薩哈を絞殺・一族処罰に追い込む。
少年康熙帝の鼇拜逮捕
- 康熙帝は密かに満州貴族の子弟から屈強な少年を選び、武術を鍛えさせる。
- ある日鼇拜を単独で呼び出し、その罪状を問い詰めたところ鼇拜が激昂して反抗の構えを見せたため、あらかじめ配置していた少年たちに取り押さえさせ捕縛する。
- 鼇拜の罪状三十か条が取りまとめられ、処分は皇帝の裁断に委ねられることとなる。