清史演義第一十九回 李定国、忠を竭くし駕に扈従す/鄭成功、義に仗り師を興す (李定國竭忠扈駕 鄭成功仗義興師)
孫可望の台頭
- 桂王は南寧に逃れ、湖広は清の手に落ちる。清は孔有徳を定南王として広西、耿仲明を靖南王として広東(後に子の継茂が襲爵)、尚可喜を平南王として広東に配置(後の三藩の伏線)。
- 桂王は張献忠の残党で雲南に割拠した孫可望に助けを求める。可望は李定国・劉文秀・艾能奇・白文選・馮双礼らを従え、雲南を掌握し「後明」を僭称するに至る。
- 可望は桂王からの冀王・秦王などの封爵に応じず、勝手に「秦王」を自称。李定国を杖罰するなど専横を強める。
李定国の活躍
- 可望は李定国・馮双礼に桂林方面、劉文秀・王復臣らに四川方面への進軍を命じる。
- 李定国は連戦連勝し、孔有徳を桂林で自刃に追い込む。さらに衡州で清の尼堪の大軍と対峙し、象兵を用いた奇策で尼堪を敗死させる。
孫可望の専横と裏切り
- 王之邦の忠告により、李定国は可望の招集に応じず広西へ引き返す。
- 四川方面では劉文秀が呉三桂に敗れ、王復臣は戦死。可望自身も清軍(屯斉率いる部隊)に敗れ貴州へ敗走し、故明の宗室を虐殺するなど残虐な行いを続ける。
桂王の危機と李定国の擁立
- 桂王は安隆で幽閉同然の扱いを受け、密使を送って李定国を招こうとするが露見し、関係者は可望の部下鄭国により厳しく処罰される(張福禄・呉貞毓らは処刑)。
- 可望は白文選を派遣して桂王を強制的に移そうとするが、文選は密かに桂王を守る意志を示す。
- 李定国が到着し臣礼を尽くすと、桂王は喜んで晋王に封じる。定国は桂王を雲南へ移し、劉文秀(蜀王)・白文選(鞏昌王)とともに新体制を築く。
孫可望との決戦
- 可望は妻子を人質に取られる形での和議を経て再び雲南侵攻を図るが、部将の馬進忠らが離反し白文選と密かに通じる。
- 三岔河の戦いで李定国・劉文秀は寡兵ながら奮戦し、馬進忠・白文選の内応もあって可望軍を大敗させる。
- 可望は貴州に逃げ戻るが、馮双礼がすでに永暦帝側に帰順しており入城を拒まれる。妻子を返してもらった可望は、最終的に清の洪承疇のもとへ投降する。
鄭成功の抗清活動
- 鄭芝龍の子・鄭成功は父の降伏後も抗戦を続け、隆武帝・永暦帝から延平郡公に封じられる。
- 漳浦・海澄などを攻略し、清の陳錦を撃退。清は父芝龍を通じて降伏を勧めるが、成功は「薙髪はしない」と拒絶。
- 陳錦は部下に殺され首級を成功に献上されるが、成功は主君を裏切った者を罰し、忠義を尽くした従者には褒賞を与える。
- 魯王が廈門に逃れてきた際、成功は明宗室の礼をもって迎える。魯王側の張名振・張煌言は舟山で清軍に敗れ、魯王はさらに成功のもとへ身を寄せる。
- 魯王の死後、張煌言は南京進撃を試みるが、名振の死などにより断念する。
鄭成功と父・鄭芝龍の対立
- 清は成功に海澄公の位を与えようとするが拒否。さらに使者を送り四府の地を与えると持ちかけるが、成功は「もとより明の地であり清の恩賜ではない」と一蹴する。
- 父芝龍からの説得の手紙に対し、成功は「忠孝両全できぬ以上、忠を選ぶ」との返書を送り、薙髪を拒む決意を明確にする。
- 芝龍はこれにより清朝から爵位を剥奪され幽閉される。
- 清は済度を派遣して成功を攻めるが敗退。成功は大規模な軍備を整え、張煌言と合流し北上を開始する。
長江進撃
- 途上、颶風により多数の艦船を失うも立て直し、清の背反者(黄梧・施瑯)の情報を受けて再出撃。
- 張煌言は長江を遡上し、瓜洲で清の管効忠を破り、鎮江を陥落させる。
- 南京進撃を成功が命じたところで、帳下の一人が「不可、不可」と異を唱える場面で本回は終わる。
評語
孫可望の跋扈があってこそ李定国の忠義が際立ち、鄭芝龍の卑劣があってこそ鄭成功の義が際立つ。一方は雲南で永暦帝を扈従し、他方は海外で挙兵した。ともに志半ばで成果は乏しかったが、その忠義は多くの評価に値する。鄭成功の心跡の光明さは李定国よりもなお一段優れており、それゆえ叙述も一段と精彩を放つ。張煌言・張名振の二人も併せて描かれ、明のために命を捧げた遺老たちの姓名も漏らさず記されている。