即位と急死
- 希声は字を若訥といい、殷の次子である。殷が国を建てるにあたり希声に判内外諸軍事を任せた。荊南の高季昌は殷の将の高郁がもとより殷に策を教えており楚が強いことを患えとしていると聞き、かつて間諜を遣わして殷との間に離間を行わせた。
- 殷はこれを聞き入れなかったが、希声が用事するようになると、間諜は希声に「季昌は楚が高郁を用いていると聞いて大いに喜び『馬氏を亡ぼす者は必ず郁であろう』と言っていました」と語った。希声はもとより愚かで、これを本当だと思い、たちまち郁の兵職を奪った。
- 郁は怒って「わしは君王に仕えて久しいが、いまや西山に営みを構え老いるほかない。犬の子もすでに大きくなり人を咬めるようになったな」と言った。希声はこれを聞き、殷の命だと偽って郁を殺させた。
- 殷は老いてもはや政事を省みることができず、郁が死んだことすら知らなかった。この日、大霧が四方に立ちこめ、殷はこれを怪しみ左右に「わしはかつて孫儒に従っていたが、儒が無実の者を殺すたびに天は必ず大霧を降らせた。まさか馬歩の獄に冤死した者がいるのではないか」と言った。
- 翌日、吏がそのことを状として殷に報告すると、殷は胸を叩いて大哭し「わしはこれほど耄碌していたのか、わが勲旧を殺してしまうとは」と言い、左右を顧みて「わしもまた長くはあるまい」と言った。
- 翌年、殷は薨じ、希声が立って武安・静江等軍節度使を授けられた。希声はかつて梁の太祖が鶏を食べるのを好んだと聞いてこれを慕い、毎日五十羽の鶏を烹て膳に供した。
- 殷を上潢に葬るとき、希声は入って泣いて跪拝すべきところを、鶏肉を数器食べてから立ち上がった。その礼部侍郎の潘起はこれを譏って「昔、阮籍は喪に居りながら蒸豚を食べたというが、世に賢者が乏しいわけではないのに」と言った。
- 長興三年、希声は卒した。衡陽王を追封された。弟の希範が立った。