新五代史卷五十七 雜傳第四十五 王延

出自と出仕

  • 王延、字は世美、鄭州長豊の人。若くして学を好み、かつて賦をもって梁の宰相李琪に謁すると、琪はこれを称誉し即墨縣令に薦められた。馮道が宰相となると、延と旧知であったので召して左補闕を拝させ、水部員外郎知制誥に遷り、中書舍人を拝して知貢舉を権行した。

科挙をめぐる逸話

  • 吏部尚書盧文紀は故相崔恊と隙があった。この時、恊の子頎がまさに進士に挙げられようとしており、文紀は延に「わたしはかつて朝廷で君を誉めた。貢舉で士を選ぶには実効を求めるべきであり、虚名で人を取ってはならない。昔、泳ぎに巧みな越人があり、生まれた子がまだ一歳のとき、その母が水上に浮かべたところ、人が怪しんで問うと『父が泳ぎに巧みだから子も必ずそうできるはずだ』と言った、これでよいか」と言った。延は退いて笑い、「盧公の言は崔協のためのものだ、その父を恨んで子にまで及ぼすとは」と語った。翌年、頎は甲科に選ばれ、人は皆その公正を称えた。延は刑部尚書に累遷し、太子少保として致仕した。

晩年

  • 延は卒した年七十三。延は人となり然諾を重んじ、弟の規と友愛が篤く、五代の間、その家法が称えられた。