新五代史卷五十七 雜傳第四十五 王松

出自と出仕

  • 王松、父の徽は唐の僖宗の宰相であった。松は進士に挙げられ、後唐の時に刑部郎中を歴任し、唐末には方鎮に従事した。晉高祖が太原を鎮した際、松を節度判官に辟した。高祖の即位後、右諫議大夫を拝し、工部尚書に累拝した。
  • 出帝が北へ遷された後、蕭翰が許王從益を京師に立てると、松は左丞相となった。漢高祖が洛陽に入る際、先に東京へ勅使を遣わして「かつて偽命を受けた百官の書は皆焼き捨て、自ら疑うことのないように」と告げたため、御史台はことごとく百官の偽勑を集めて焼いた。松は自らの胸を指し、郭子儀の故事を引いて自らを誚り、人に「これがいわゆる『二十四考の中書令』というものだ」と語り、聞く者はこれを笑った。

晩年

  • 後に松の子仁寳が李守貞の河中支使となり、守貞が反すると、松は子の縁により上書して自ら陳べた。高祖はこれを憐れみ、職を解くだけで済ませた。松は城東に田があり、季節ごとに往来し、京師で病により卒した。