新五代史卷五十七 雜傳第四十五 叚希堯

出自と晋高祖への諫言

  • 叚希堯、河内の人。晉高祖が河東節度使であった時、希堯を判官とした。高祖が忻州に軍を屯した際、軍中に高祖を擁して万歳を呼ぶ者が現れ、高祖は惶惑してどうすればよいかわからなかったが、希堯が高祖に乱首を斬るよう勧め、乱はそこで止んだ。高祖が太原で挙兵しようとし賓佐と謀った際、希堯は不可とした。高祖はその言を聴かなかったが、その人柄を重んじて咎めなかった。高祖が即位すると、希堯は諸将吏に比べ恩沢が最も薄かった。

呉越への使者と晩年

  • 久しくして諫議大夫に遷り、呉越に使いした。この時、江淮の路が通じず、呉越に使いする者は皆海を渡り、多くが風波の患いに遭った。希堯が海を渡る際、大風に遭って左右は皆恐懼したが、希堯は「わたしは平生汝らを欺いたことがない、わたしを頼めば恐れることはない」と言い、まもなく風もやんだ。萊・懐・棣の三州刺史を歴任し、出帝の時、吏部侍郎として東西銓事を判じ、禮部尚書に累遷して卒した。年七十九、太子少保を贈られた。