新五代史卷五十五 雜傳第四十三 李懌

貢挙の格式を辞退した謙譲

  • 李懌、京兆の人。若くして好学、文才に優れ、唐末に進士に挙げられ秘書省校書郎集賢校理となった。唐が亡び梁に仕え監察御史から中書舎人翰林学士に累遷したが、梁の滅亡で懐州司馬に貶され、赦により衛尉少卿に移った。天成中、再び中書舎人翰林学士となり尚書右丞承旨に累遷した。
  • 当時、右散騎常侍の張文寶が知貢挙を務め及第させた進士に中書で覆落された者が出たため、学士院に下して詩賦の貢挙格式を作らせようと請われたが、学士の竇夢徴・張礪らの作が拙かったため懌に命じられた。懌は笑って「私が若くして進士に及第したのは偶然に過ぎない、後生畏るべしで来る者の才は測りがたい、もし私が再び礼部の試を受ければ落第しないとも限らない、どうして英俊のための基準となれようか」と辞退し、聞く者はその見識を称えた。刑部尚書に遷り洛陽に分司して卒した。年七十余。