新五代史卷五十五 雜傳第四十三 崔居儉

拙な生計と清廉な晩年

  • 崔居儉、清河の人。祖の蠡、父の蕘はいずれも唐の名臣であった。居儉は文辞に優れ風骨清秀で、若くして進士に挙げられ、梁の貞明中に中書舎人翰林学士御史中丞となった。唐の荘宗の時、刑部侍郎太常卿となった。崔氏は後魏・隋・唐を通じ盧・鄭とともに甲族とされ、吉凶の礼をそれぞれ家礼として著してきたが、その後世の子孫は門望を専ら誇るあまり世に嫉まれた。
  • 明宗の崩御に際し居儉は旧例で礼儀使を務めるべきところ、祖の諱「蠡」を理由に辞退し、宰相の馮道はすぐに居儉を秘書監に転任させた。その後兵部・吏部侍郎、尚書左丞、戸部尚書を歴任し、晋の天福四年に卒した。年七十。右僕射を追贈された。居儉は生計に拙く、顕官にありながら常に衣服にも事欠き、没した日は貧しくて葬ることもできず、聞く者はこれを哀れんだ。