新五代史卷五十 雜傳第三十八 劉詞

高平の戦いで奮戦した将

  • 大名元城の人。若くして楊師厚に仕え勇悍をもって知られた。唐莊宗が魏博を下し梁と夾河で戦った際、詞は軍功により効節軍使となり長剣指揮使に遷ったが、事に坐して汝州に左遷され十余年を過ごした。廃帝の時、諸州鎮に驍勇な者を選び禁軍に充てる詔が下ると、詞は選ばれて禁軍校となり、張従賔・楊光遠を破った功により奉国第一軍都虞候に遷り、馬全節に従い安州を破った功により指揮使に遷り、杜重威に従い鎮州を破った先登の功により泌州刺史を拝した。晋軍が安従進を討つ際、襄州行営都虞候となり、功により泌州団練使に遷り、房州に徙った。一年余り、政を為すに苛虐でなかったので人々は頗るこれを便とした。詞は暇な日にも常に甲を被り戈を枕にして臥し、人に「私はこれで富貴を得た、どうして一日でもこれを忘れられようか、しかも人情は易きに慣れやすいもの、もし一度筋力を怠らせれば、事が起きた時どう国に報いられようか」と語った。
  • 漢高祖の時、再び奉国右廂都指揮使となり、漢軍が李守貞を河中で討った際、詞は侍衛歩軍都指揮使として寧江軍節度使を領し行営都虞候となり、功により鎮国軍節度使を拝した。周太祖の即位後、同中書門下平章事を加えられ、安国・河陽三城に鎮を歴任した。世宗が高平で戦った際、樊愛能らの軍が敗れ南に走り、詞に出会うとこれを止め「軍は敗れた、進むべきではない」と言ったが、詞は聞かず兵を趣らせて進み、世宗はこれを嘉し随駕都部署とした。班師の際は河東行営副都部署とし、永興に鎮を移り、翌年鎮で卒した。年六十五。侍中を贈られ諡は忠恵。