新五代史卷四十九 雜傳第三十七 常思

周太祖ゆかりの倹約な将

  • 太原の人、字は克恭。初め唐莊宗に従い卒となり、後に長剣指揮使となり、唐晋を歴任して六軍都虞候となった。漢高祖が河東節度使であった時、思を牢城指揮使とし、高祖の即位後は武勝軍節度使を領し昭義に鎮を移った。思は軍卒から起ち戦功はなかったが、ただ漢の興隆に幸い会って旄節を秉り、潞州に在ること五年、聚斂を事としその性は鄙倹であった。初め思がまだ微賤であった頃、周太祖はまさに幼くして孤児となり頼るところがなく、思の家で衣食していたので思を叔父とみなしていた。後に思と周太祖はともに漢に遭遇し富貴を得たが、周太祖はすでに即位した後も常に思を「常叔」と呼び、その妻を家人の礼で拝した。広順三年、帰徳に鎮を移り、三年在って来朝し、また平盧に徙った。思はここで「私は宋にいた時、宋の民は私に糸息(利息)を負っています、その証文を朝廷に献上したい」と申し出ると、太祖は頷きすぐさまその証文を焼かせ、詔して宋州にことごとく蠲除させた。思は青州に居り一年余りで病を得て、洛陽に帰り卒した。中書令を贈られた。