新五代史卷四十九 雜傳第三十七 王進

足の速さで出世した将

  • 幽州良郷の人。人となり勇悍で走ること奔馬に及んだ。若くして徒党を集め盗となり郷里はこれを患いとしていたが、符彦超が人を遣わし賄賂で招き麾下に置いた。彦超が安遠軍に鎮した際、軍中に変があり進を遣わし京師に馳せ奏させると、明宗はその来るのが速いことを怪しみその足の速さを嘉し寧衛指揮に隷させた。漢高祖が侍衛親軍指揮使であった時、進を軍校とし、高祖が河東に鎮するとこれに従い、急ぎの用があるたびに進を遣わし京師まで馳せさせると往復は五、六日を超えなかったので、これによりますます親愛された。奉国軍都指揮使に累遷し、周太祖に従い魏で起ち虎捷右廂都指揮使に遷り、汝・鄭二州の防禦使・彰徳軍節度使を歴任し、顕徳初年に疾により卒した。太師を贈られた。

史論

  • ああ、私が旧史を述べるにあたり王進の事に至るたび、書を廃して嘆かずにいられなかった。なんと甚だしいことか、五代の君主はみな武人として崛起し、ともに立った勇夫悍卒はそれぞれ土地を裂き侯王に封じられた、これは豺狼にこの民を牧させるのとどう違うだろうか。彼らの附託・遭遇は一時の幸運から出たものとはいえ、なお必ずみな身を陣敵に投じ、百夫の勇がなければ必ず一日の労があったものだが、進のような者に至っては、ただ足が速く走りに巧みであることだけで旄節を秉ったのだから、なんと甚だしいことか。これは名器の用が世につれて軽重するということではないか、世が治まれば君子がこれに居り重んじられ、世が乱れれば小人が容易にこれを得て軽んじられるということではないか。あるいは因縁の僥倖はもとよりなかったわけではないが、乱世に特に多く、その極みに至ってついにこの有様になったのではないか、これよりさらに甚だしいことがあろうか。この時代、国を保つ者は長くて十余年、短ければ三、四年から一、二年、天下の人々はその上に立つ者を見て、君主が国に代わるのを更戍の長(交代の駐屯隊長)のように見て変わりないと思っていた、上がこれほど軽んじられたのであるから、まして下の者はなおさらである。進のごとき者はどうして語るに足ろうか。否と泰、消と長は、君子と小人が常に相い上下する、上にある者が進のごとき者であれば、下にある者も推して知るべしである。私が進の事を記すのは、この時代の乱れを哀しみ、当時下に沈んでいた君子を思うからである、語り尽くせようか、語り尽くせようか。