新五代史卷四十五 雜傳第三十三 周知裕

帰化軍での武功

  • 幽州の人。劉仁恭の騎将であったが、仁恭がその子守光に幽閉されると去って守光の兄守文に仕え、守光が守文を攻め殺すと張万進とともに守文の子延祚を立てて仕え、守光が延祚を殺すとその子繼威に代えたが、万進が繼威を殺し知裕とともに梁に奔った。梁太祖は知裕を得て大いに喜び帰化軍を置き知裕を指揮使とし、晋との戦で得た兵や晋に背いて梁に帰した兵をみな知裕に属させた。梁晋が河上で対峙すること十余年、堅陣を摧き陣を陥れることでは帰化の一軍が最も優れていたが、知裕の位は刺史にとどまった。莊宗が汴に入ると知裕は段凝とともに河上に軍していたが、梁の滅亡を聞き自殺しようとしたところ賓客・故人に止められ唐に降った。莊宗は特に寵待したが、諸将がその寵を妬み狩猟にかこつけて射たため、知裕は走って免れ、莊宗は射た者を殺し、知裕を房州刺史とした。
  • 明宗の時、絳・淄二州の刺史を歴任し宿州団練使・安州留後に遷り、いずれの任地でも善政を行った。安州は淮に近く風俗が悪く、病者は父母が病めば別室に置き竹竿で飲食を結んで届けるのみで死ぬまで近づかなかったが、知裕はこれを深く憂い教導を加えたことにより風俗はやや改まった。右神武統軍に罷され、応順中に卒し、太傅を贈られた。