新五代史卷四十五 雜傳第三十三 劉玘

襄州・晋州を守った将

  • 汴州雍丘の人。代々宣武軍の牙将であった。梁太祖の宣武鎮の時、玘は軍卒として隊長に補され、戦功により牙将に累遷し襄州都指揮使となった。山南節度使王班が乱軍に殺されると、乱軍は玘を留後に推し、玘は偽ってこれを許し、翌日庭に士を饗し幕中に甲兵を伏せ、酒宴の半ばで乱を為した者を捕らえて殺した。折しも梁が陳暉に兵を遣わし襄州に至り平定を助けた功により復州刺史を拝し、亳・安二州に徙り、末帝の時には晋州観察留後となり八年にわたり日々晋人と交戦した。莊宗が梁を滅ぼすと玘は来朝し、莊宗は「劉侯、恙なきか、晋陽の南辺に久しく居りながら早く相聞かなかった、今日訪ねてくるとは遅すぎたのではないか」と労い、玘は頓首謝罪し還鎮を許され、節度使とされ安遠に徙った。天成元年、史敬鎔に代わられ京師に還る途上、武勝軍節度使を拝したが、疾により道中で卒した。侍中を贈られた。