旌表された孝義の門
- 李自倫は深州の人である。天福四年正月、尚書戸部が「深州司功参軍李自倫は六世同居している」と奏上した。勅を奉じ格に準じて調べたところ、格によれば孝義を旌表するには必ず先に検証を加える必要があり、孝行者はその終身を復(賦役免除)し、義門にはさらに旌表を加えるとされていた。本州から審査結果が届き、郷老の程言らが「自倫の高祖は訓、訓は粲を生み、粲は則を生み、則は忠を生み、忠は自倫を生み、自倫は光厚を生み、六世同居して妄りなことがない」と称した。勅により、その居住する飛鳧郷を「孝義郷」、匡聖里を「仁和里」と改め、式に準じて門閭に旌表することとした。
- 九月丙子、尸部(礼部の一部)はまた「前の登州の義門王仲昭も六世同居していた」と奏上した。その旌表には聴事の歩欄の前に屏を列ね烏頭(門柱の装飾)を立て、正門の閥閲は一丈二尺、烏頭の二柱の端は瓦桶で覆い、双闕を築き烏頭の南三丈七尺に一丈の場所を設け、槐柳を十五歩に夾んで植えたということで、これに倣うことを請うた。勅に「これは故事である、今の式にはない、その土地の適宜さを量り外門を高くし、門には綽楔(門標)を安んじ、左右に台を建てその高さ一丈二尺、広狭・方正を相称わせ、白く塗ってその四角を赤くし、不孝不義の者にこれを見せて心を悛め行いを改めさせるべきである」とあった。