新五代史卷三十四 一行傳第二十二 程福贇

冤罪による死

  • 程福贇はその世家を知らない。人となり沈厚寡言でありながら勇があった。若くして軍卒となり戦功によってしばしば遷り洺州団練使となった。晋の出帝の時、奉国右廂都指揮使となった。開運中、契丹が寇入すると出帝は北征し、奉国の軍士がその隙に乗じ夜に火を放って営を焼き乱を起こそうとした。福贇は自ら火を消しに行き傷を負ったが、火が消えると乱を起こそうとした者は事を発することができなかった。福贇は契丹がまもなく大挙して至ろうとしており天子は軍中にあって京師は空虚であるから、些細な事で人心を動揺させるべきでないと考え、この事を隠して上聞しなかった。
  • 軍将の李殷は福贇の下位にあったが、福贇が去ってこれに代わることを利とし、福贇が乱を起こした者と同謀していると誣告し、「そうでなければどうして奏さなかったのか」と言った。出帝は福贇を獄に下し、人々はみな冤罪だと思ったが、福贇はついに自ら弁明せず殺された。