新五代史卷三十三 死事傳第二十一 史彦超

忻口の戦いでの戦死

  • 史彦超は雲州の人である。人となり勇悍で驍捷であった。周太祖が魏で挙兵した時、彦超は漢の龍捷都指揮使となり、兵をもって太祖に従い即位すると虎捷都指揮使に遷り晋州に戍った。劉旻が晋州を攻めたとき、州に主帥がなく知州の王万敢はこれを拒むことができなかったが、彦超は戍兵をもって堅守すること一月余り、太祖は王峻を遣わしこれを救うと、旻の兵は解いて去った。功により龍捷右廂都指揮使に遷り鄭州防禦使を領した。周と漢が高平で戦った際、彦超は前鋒として先登し陣を陥れ、功により感徳軍節度使を拝した。
  • 周の兵が漢の太原を囲んだとき、契丹が漢を救おうと忻・代から出ると、世宗は符彦卿を遣わしこれを拒がせ、彦超を先鋒とした。忻口で戦い、彦超は勇と憤りをともに発し左右に馳せ撃ち、離れてはまた合すること数回に及んだが、ついに陣中で没した。当時世宗は漢を高平で破り勝ちに乗じて進み城を囲む戦いをしていたが、諸将の議が一致せず久しく成功がなかった。世宗は囲みを解こうとしてまだ決していなかったが、彦超の戦死を聞き急ぎ班師させた。倉卒の際にその衆を多く失った。世宗はすでに彦超を惜しみ成功のなかったことを憤り、憂忿して食事をとらないこと数日に及んだ。彦超に太師を贈り、その家を優恤した。