史記卷一百三 列傳第四十三 張歐

張歐(張叔、御史大夫)

  • 御史大夫張叔、名は歐、安丘侯張説の庶子。文帝の代に刑名の学で太子(後の景帝)に仕えた。刑名家でありながら人柄は長者。景帝の代に重んじられ常に九卿に列し、武帝元朔四年、韓安国の後任として御史大夫となった。人を陥れる発言をせず、誠実な長者として振る舞い、獄事は却下できるものは却下し、やむを得ぬ場合は涙ながらに封をした。
  • 老病篤くなり辞任を願うと、天子はその功により上大夫の禄で帰老を許した。子孫はみな高官に至った。

史論

  • 太史公は言う。孔子の「君子は言葉を控えめにし行いに敏である」との言葉は、まさに万石君・建陵侯・張叔を指すのではないか。厳しくせずとも教化は行われ、厳しくせずとも治まった。塞侯(直不疑)はやや巧みに過ぎ、周文(周仁)は媚びに近いと君子に譏られたが、それでもなお篤行の君子と言うべきである。