史記卷八十六 刺客列傳第二十六 豫讓

知己に報いる

  • その後七十余年、晋に豫譲の事があった。豫譲は晋の人で、かつて范氏・中行氏に仕えたが知られることなく、去って智伯に仕えると智伯は深く尊重した。智伯が趙襄子を攻めた際、趙襄子は韓・魏と結んで智伯を滅ぼし地を三分した。最も智伯を恨んだ趙襄子は智伯の頭に漆を塗り酒器とした。
  • 豫譲は山中に逃れ「士は己を知る者のために死す、女は己を悦ぶ者のために装う。智伯は我を知る者、必ず仇を報い死んでこそ魂魄も恥じない」と言い、姓名を変え刑徒に扮して宮中の厠を塗る仕事につき匕首を隠し持ち襄子を刺そうとした。襄子が厠に入る際胸騒ぎを覚え、刑徒を尋問すると豫譲だと分かり、刀を持っていた。「智伯のために仇を討とうとした」と言うと側近は誅そうとしたが、襄子は「彼は義人だ、避ければよい。智伯には後継がないのにその臣が仇を討とうとするのは賢人だ」と赦し去らせた。
  • しばらくして豫譲は身に漆を塗って癩病のように見せ炭を呑んで声を潰し、姿を分からなくして市で乞食をした。妻も気づかなかったが友人が気づき「あなたの才なら襄子に近づき仕えれば必ず寵愛される。近づいてから望みを果たせば容易ではないか。なぜそこまで身を苦しめるのか」と問うと、豫譲は「一度仕えて主に二心を抱いて殺すのは不義。後世の二心ある臣に恥を知らしめるためだ」と答えた。
  • 襄子が橋を渡ろうとした際、豫譲は橋の下に潜んでいたが馬が驚き「これは豫譲であろう」と探させると案の定だった。襄子は「かつて范・中行氏に仕えながらその滅亡には報復せず、むしろ智伯に仕えたのに、なぜ智伯にはこれほど深く報いようとするのか」と問うと、豫譲は「范・中行氏は我を凡人として遇したので凡人としてこれに報い、智伯は国士として遇したので国士としてこれに報いる」と答えた。襄子は嘆息して涙を流し「豫譲よ、そなたの智伯への義はすでに成った。私が赦したのも十分だ、これ以上は赦せぬ」と兵で豫譲を囲んだ。
  • 豫譲は「明主は人の美徳を覆い隠さず、忠臣は名のために死ぬ義がある。先には寛大な赦しをいただき天下があなたの賢を称えた。今日のことは甘んじて誅を受けるが、どうかあなたの衣を借りて撃たせてほしい、それで報復の意を果たせれば死んでも恨みはない」と願い、襄子は大いに義とし使者に衣を持たせた。豫譲は剣を抜き三度躍り上がって衣を撃ち「これで智伯に報いることができた」と言い伏剣して自殺した。趙の志士はこれを聞き皆涙した。