史記卷二十 建元以來侯者年表

  • 太史公は言う。匈奴が和親を絶ち要塞を攻め、閩越がほしいままに征伐を行い、東甌が漢に降を請うた。二つの夷が交々侵してきたのは、まさに漢の盛んな時代であった。これによって功臣が受けた封は祖先の功に劣らぬことが分かる。なぜなら、詩経・書経に三代の「戎狄を撃ち、荊蛮を討った」ことが称えられ、斉の桓公は燕を越えて山戎を伐ち、趙の武霊王は小国ながら単于を服させ、秦の繆公は百里奚を用いて西戎に覇を唱え、呉楚の君主は諸侯を率いて百越を服従させた。まして中国が統一され、明天子が上に立ち、文武を兼ね備え四海を席巻し、億万の民を内に治めている今、どうして辺境の征伐を行わずにいられようか。これより後、北の強胡を討ち南の勁越を誅し、将卒が次々に封じられていった。

元光年間(前134~前129年CE)

  • (趙信):匈奴の相国として降り侯となる。元朔二年、車騎将軍に属し匈奴を撃つ功で加増。侯趙信が六年前将軍として単于軍に敗れ匈奴に降り国除。
  • 持裝(樂):匈奴都尉として降り侯となる。侯樂が元年嗣なく薨じ国除。
  • 親陽(月氏):匈奴の相国として降り侯となる。侯月氏が五年逃亡し斬られ国除。
  • 若陽(猛):匈奴の相国として降り侯となる。侯猛が五年逃亡し斬られ国除。
  • 長平(衛青):元朔二年車騎将軍として匈奴を撃ち朔方・河南を取った功侯。元朔五年大将軍として匈奴を撃ち右賢王を破り三千戸を加増。烈侯衛青、太初元年今侯伉が継承。
  • 平陵(蘇建):都尉として車騎将軍衛青に従い匈奴を撃った功侯。元朔五年遊撃将軍として大将軍に従い加増。侯蘇建が右将軍として翕侯趙信と共に敗れ単身脱出も斬に当たり贖罪、国除。
  • 岸頭(張次公):都尉として車騎将軍衛青に従い匈奴を撃った功侯。元朔六年大将軍に従い加増。侯張次公が淮南王女と姦通し財物を受けた罪で国除。
  • 平津(公孫弘):丞相の詔による顕彰で侯となる。獻侯公孫弘、侯慶が元鼎三年山陽太守として有罪国除。
  • 涉安(於單):匈奴単于の太子として降り侯となる。侯於單が五月に卒し嗣なく国除。
  • 昌武(趙安稽):匈奴王として降り侯となる。昌武侯として驃騎将軍に従い左賢王を撃った功で加増。堅侯趙安稽、侯充國が太初元年嗣なく薨じ国除。
  • 襄城(無龍):匈奴の相国として降り侯となる。侯無龍が太初二年浞野侯に従い戦死、子の侯病已が継承。
  • 南奅(公孫賀):騎将軍として大将軍衛青に従い匈奴の王を得た功侯。太初二年丞相として葛繹侯に封ぜられる。侯公孫賀が酎金の罪で国除、絶して七年、後に葛繹侯として復封、征和二年子の敬聲が有罪となり国除。
  • 合騎(公孫敖):護軍都尉として三たび大将軍に従い匈奴を撃ち右賢王庭に至り王を得た功侯。元朔六年加増。侯公孫敖が驃騎将軍との会合に遅れ畏懦の罪で斬に当たるも贖罪し庶人となり国除。
  • 樂安(李蔡):軽車将軍として再び大将軍衛青に従い匈奴を撃ち王を得た功侯。侯李蔡が丞相として孝景園の神道の地を盗んだ罪で自殺し国除。
  • 龍頟(韓說):都尉として大将軍衛青に従い匈奴の王を得た功侯。元鼎六年横海将軍として東越を撃った功で案道侯となる。侯韓說が酎金の罪で絶、二年後復侯し案道侯として復封、征和二年子の長が継ぐも有罪絶、子の曾が龍頟侯として復封。
  • 隨成(趙不虞):校尉として三たび大将軍衛青に従い匈奴を撃ち農吾を攻め石累に先登した功侯。侯趙不虞が定襄都尉として匈奴の太守撃破を偽って報告した罪で国除。
  • 從平(公孫戎奴):校尉として三たび大将軍衛青に従い右賢王庭に至り鴈行に先登した功侯。侯戎奴が上郡太守として匈奴撃退を偽り報告した罪で国除。
  • 涉軹(李朔):校尉として三たび大将軍に従い右賢王庭に至り王と閼氏を虜にした功侯。侯李朔が有罪国除。
  • 宜春(衛伉):父の大将軍衛青が右賢王を破った功で侯となる。侯衛伉が制詔を偽った罪で国除。
  • 陰安(衛不疑):父の大将軍衛青が右賢王を破った功で侯となる。侯衛不疑が元鼎五年酎金の罪で国除。
  • 發干(衛登):父の大将軍衛青が右賢王を破った功で侯となる。侯衛登が元鼎五年酎金の罪で国除。
  • 博望(張騫):校尉として大将軍に従い六年匈奴を撃ち水路を知り、また先に絶域大夏に使いした功侯。侯張騫が将軍として匈奴を撃ち畏懦の罪で斬に当たるも贖罪し国除。
  • 冠軍(霍去病):嫖姚校尉として再び大将軍に従い六年匈奴を撃ち相国を斬った功侯。元狩二年驃騎将軍として祁連に至り加増、渾邪王を迎え加増、左右賢王を撃ち加増。景桓侯霍去病、哀侯嬗が嗣なく薨じ国除。
  • 眾利(郝賢):上谷太守として四たび大将軍に従い六年匈奴を撃ち首虜千級以上の功侯。侯郝賢が上谷太守として戍卒の財物を偽って上計した罪で国除。
  • (趙王煖訾):匈奴の趙王として降る。悼侯趙王煖訾が二年死し嗣なく国除。
  • 宜冠(高不識):校尉として驃騎将軍に従い二年再び匈奴を撃った功侯、もと匈奴帰義。侯高不識が四年首級を偽って報告した罪で斬に当たるも贖罪し国除。
  • 煇渠(僕多):校尉として驃騎将軍に従い二年再び匈奴を撃ち王を得た功侯、五王を虜にした功で加増、もと匈奴帰義。忠侯僕多、侯電が継承。
  • 從驃(趙破奴):司馬として再三驃騎将軍に従い深く匈奴に入り王子・騎将を得た功侯。元封三年匈河将軍として楼蘭を撃った功で復侯。侯趙破奴が酎金の罪で国除、後に浞野侯として復封、二年後浚稽将軍として匈奴に敗れ捕虜となり国除。
  • 下麾(呼毒尼):匈奴王として降る。侯呼毒尼、煬侯伊即軒が継承。
  • 漯陰(渾邪):匈奴渾邪王として衆十万を率い降る功で万戸。定侯渾邪、魏侯蘇が五年嗣なく薨じ国除。
  • 煇渠(扁訾):匈奴王として降る。悼侯扁訾が二年死し嗣なく国除。
  • 河綦(烏犁):匈奴の右王として渾邪と共に降る。康侯烏犁、餘利鞮が継承。
  • 常樂(稠雕):匈奴の大当戸として渾邪と共に降る。肥侯稠雕、太初三年今侯廣漢が継承。
  • 符離(路博德):右北平太守として驃騎将軍に従い四年右王を撃ち会期を守り首虜二千七百人の功侯。侯路博德が太初元年有罪国除。
  • (復陸支):匈奴帰義因淳王として驃騎将軍に従い四年左王を撃ち少数で多数を破り捕虜二千百人の功侯。侯復陸支、今侯偃が継承。
  • 眾利(伊即軒):匈奴帰義樓剸王として驃騎将軍に従い四年右王を撃ち自ら剣を交えた功侯。質侯伊即軒、今侯當時が継承。
  • 湘成(敞屠洛):匈奴符離王として降る。侯敞屠洛が五年酎金の罪で国除。
  • 義陽(衛山):北地都尉として驃騎将軍に従い四年左王を撃ち王を得た功侯。
  • (董荼吾):匈奴都尉として降る。侯董荼吾、太初三年今侯安漢が継承。
  • 臧馬(延年):匈奴王として降る。康侯延年が五年死し嗣を得ず国除。
  • 周子南君(姬嘉):周の後裔として封を継ぐ。侯姬嘉、四年君買が継承。
  • 樂通(欒大):方術により侯となる。侯五利将軍欒大が五年有罪斬られ国除。
  • (次公):匈奴帰義王として降る。侯次公が五年酎金の罪で国除。
  • 術陽(建德):南越王の兄として越に高昌侯とされる。侯建德が五年有罪国除。
  • 龍亢(廣德):校尉摎樂が南越討伐で死事した功で子が侯となる。侯廣德が六年有罪誅され国除。
  • 成安(延年):校尉韓千秋が南越討伐で死事した功で子が侯となる。侯延年が六年有罪国除。
  • (渠復累):属国の大且渠として匈奴を撃った功侯。侯渠復累が継承。
  • (駒幾):属国の騎として匈奴を撃ち単于の兄を捕らえた功侯。
  • 梁期(任破胡):属国都尉として五年匈奴を撃ち復累・絺縵らを得た功侯。
  • 牧丘(石慶):丞相として、また先人万石君以来の積徳謹行により侯となる。恪侯石慶、侯德が継承。
  • (畢取):南越の将として降り侯となる。
  • 將梁(楊僕):楼船将軍として南越を撃ち先鋒として敵を退けた功侯。侯楊僕が四年有罪国除。
  • 安道(史定):南越揭陽令として漢兵の到来を聞き自ら降った功侯。
  • 隨桃(趙光):南越蒼梧王として漢兵の到来を聞き降った功侯。
  • 湘成(監居翁):南越桂林監として漢兵が番禺を破ったのを聞き甌駱の兵四十余万に降伏を諭した功侯。
  • 海常(蘇弘):伏波司馬として南越王建德を捕らえた功侯。莊侯蘇弘が太初元年嗣なく薨じ国除。
  • 北石(吳陽):もと東越の衍侯として繇王を助け餘善を斬った功侯。侯吳陽、太初四年今侯首が継承。
  • 下酈(黃同):もと甌駱の左将として西于王を斬った功侯。
  • 繚嫈(劉福):もと校尉として横海将軍韓說に従い東越を撃った功侯。侯劉福が二年有罪国除。
  • 蘌兒(轅終古):軍卒として東越の徇北将軍を斬った功侯。莊侯轅終古が太初元年嗣なく薨じ国除。
  • 開陵(建成):もと東越建成侯として繇王と共に東越王餘善を斬った功侯。
  • 臨蔡(孫都):もと南越の郎として漢兵が番禺を破った際、伏波将軍のために南越の相呂嘉を捕らえた功侯。
  • 東成(居服):もと東越の繇王として東越王餘善を斬った功侯、万戸。
  • 無錫(多軍):東越の将軍として漢兵の到来に軍を棄てて降った功侯。
  • 涉都(嘉):父の棄がもと南海守として漢兵の到来に城邑を挙げて降った功で子が侯となる。侯嘉が太初二年嗣なく薨じ国除。
  • 平州(唊):朝鮮の将として漢兵の到来に降った功侯。侯唊が四年嗣なく薨じ国除。
  • 荻苴(韓陰):朝鮮の相として漢兵に囲まれ降った功侯。
  • 澅清(參):朝鮮の尼谿相として人を遣わし王右渠を殺させ降った功侯。
  • 騠茲(稽谷姑):小月氏の若苴王として衆を率い降った功侯。侯稽谷姑が太初元年嗣なく薨じ国除。
  • (王恢):もと中郎将として車師王を捕らえた功侯。侯王恢が酒泉で制詔を偽った罪で死に当たるも贖罪し国除(封は三月のみ)。
  • 瓡讘(扜者):小月氏王として千騎を率い降った功侯。侯扜者、侯勝が継承。
  • (張䧄):朝鮮王子として漢兵が朝鮮を包囲した際に降った功侯(帰義)。侯張䧄が朝鮮に使いし謀反を図り死罪となり国除。
  • 涅陽(子最):朝鮮の相路人が漢兵の到来に真っ先に降ろうとしたが道中で死し、その子が侯となる。康侯子最が太初二年嗣なく薨じ国除。

(右、太史公本表)

孝武帝の封国

  • 富民(田千秋):長陵の家。もと高廟の寝郎として孝武帝に上書し諫めた。「子が父の兵を弄べば、罪は笞に当たる。父子の怒りは古来あることだ。蚩尤は父に反き、黄帝は江を渡った」との上書が帝意に叶い大鴻臚を拝命。征和四年丞相となり三千戸を封ぜられる。昭帝の時病死し、子の順が代わって立ち虎牙将軍として匈奴を撃つも軍が期日に至らず誅殺され国除。

(右、孝武の封国)

  • 後進の学を好む儒者褚先生は言う。太史公の記事は孝武の事に尽きているので、改めて孝昭以来の功臣侯者を記し左方に編んで、後の好事家が成敗長短・絶世の是非を観覧し、自ら戒める助けとする。当世の君子は権を行い変に応じ、時に応じて宜しきを施し、世に希われて事を用い、功を建てて土を有し侯に封ぜられ、当世に名を立てることは、なんと盛んなことか。しかしその持満守成の道を見ると、いずれも謙譲せず、驕り高ぶって権を争い、名声を揚げることを喜び、進むを知って退くを知らず、ついには身を殺し国を滅ぼした。三つの理由で得たものを、その身のうちに失い、功を後世に伝え恩徳を子孫に流すことができなかったのは、なんと悲しいことか。ただ龍雒侯は前将軍となったが、世俗に順いつつも厚重謹信で、政事に関わらず退譲して人を愛した。その先祖は晋の六卿の時代に起こり、土を有し国君となって以来、王侯として子孫が絶えず継承し、歴年を経て今に至るまで凡そ百余年に及ぶ。功臣でその身のうちに封を失った者と同日には語れまい。悲しいかな、後世よ、これを戒めとせよ。

孝昭時(前86~前74年CE)

  • 博陸(霍光):家は平陽。兄の驃騎将軍霍去病の縁で貴顕となり武帝に仕え、侍中の謀反者馬何羅らを捕らえた功で三千戸を封ぜられる。幼主昭帝を輔佐し大将軍となり、謹信をもって政を専らにし大司馬に進み一万戸を加増。後に宣帝に仕え三代に歴事し天下の信望を得て二万戸を加増。子の禹が継ぐも謀反により族滅・国除。
  • (金日磾):もと匈奴休屠王の太子で渾邪王に従い五万の衆を率いて漢に帰義し侍中として武帝に仕え、馬何羅らを捕らえた功で三千戸。昭帝にも謹厚に仕え三千戸を加増。子の弘が奉車都尉として宣帝に仕えた。
  • 安陽(上官桀):家は隴西。騎射に長け従軍して次第に貴顕となり武帝の左将軍となる。馬何羅の弟重合侯通を捕らえ斬った功で三千戸。昭帝の時、大将軍霍光と権を争い謀反を図り族滅・国除。
  • 桑樂(上官安):父の桀が将軍であった縁で貴顕となり侍中として昭帝に仕えた。娘が昭帝の夫人となり皇后に立てられた縁で三千戸を封ぜられる。驕慢で霍光と権を争い父子で謀反を図り族滅・国除。
  • 富平(張安世):家は杜陵。御史大夫張湯の子として武帝の尚書令を務め、昭帝には謹厚に仕え光禄勲・右将軍となり十三年輔政に過失なく三千戸を侯とされる。宣帝の時、霍光に代わり大司馬となり一万六千戸を加増。子の延壽が太僕・侍中として継いだ。
  • 義陽(傅介子):家は北地。従軍して郎となり平楽監となる。昭帝の時、外国王を刺殺し、詔書に「平楽監傅介子が外国に使いし楼蘭王を殺し、直をもって怨みに報い師を煩わさず功あり、邑千三百戸を以て介子を義陽侯に封ずる」とある。子の厲が財産を争って告発され有罪、国除。
  • 商利(王山):斉の人。もと丞相史として騎将軍上官安の謀反に際し安を説いて共に丞相のもとへ入り安を斬った。軍功により侯となり三千戸。上書して民を治めることを願い代太守となるも人に上書され下獄・死罪に当たるが赦されて庶人となり国除。
  • 建平(杜延年):もと御史大夫杜周の子として大将軍幕府に仕え、謀反者騎将軍上官安らの罪を発覚させた功で侯となり二千七百戸、太僕を拝命。後に西河太守、五鳳三年御史大夫となる。
  • 弋陽(任宮):もと上林尉として謀反者左将軍上官桀を便門で捕らえ殺した功で侯となり二千戸。後に太常・衛尉事を兼ね、節倹謹信をもって寿を全うし子孫に伝えた。
  • 宜城(燕倉):もと大将軍幕府の軍吏として謀反者騎将軍上官安の罪を発覚させた功で侯となり二千戸。汝南太守として能吏の名を得た。
  • 宜春(王訢):家は斉。もと小吏より右輔都尉に進み、武帝が扶風郡に度々巡幸した際の対応で右扶風を拝命。昭帝の時、桑弘羊に代わり御史大夫となり、元鳳三年田千秋に代わり丞相となり二千戸を封ぜられる。二年で人に暴虐を上書され自殺を図るも死なず。子が属国都尉として継いだ。
  • 安平(楊敞):家は華陰。もと大将軍幕府に仕え大司農を経て御史大夫となり、元鳳六年王訢に代わり丞相となり二千戸を封ぜられる。二年で病死。子の賁が継ぎ十三年後病死、子の翁君が典属国として継ぐも季父惲の悪言に連座し下獄・死罪に当たるが赦されて庶人となり国除。

(右、孝昭時の封国)

孝宣時(前73~前49年CE)

  • 陽平(蔡義):家は温。韓詩を学び博士となり大将軍幕府に仕え杜城門候となる。侍中に入り昭帝に韓詩を授け御史大夫となる。時に年八十、衰老し両人に支えられねば歩けなかったが、公卿は人主の師たる者を相とすべしと議し、元平元年楊敞に代わり丞相となり二千戸を封ぜられる。病死し嗣なく国除。
  • 扶陽(韋賢):家は魯。詩・礼・尚書に通じ博士となり魯の大儒に授け、侍中に入り昭帝の師となり光禄大夫・大鴻臚・長信少府に遷る。人主の師として本始三年蔡義に代わり丞相となり扶陽侯に封ぜられ千八百戸。丞相を五年務めるも恩情深く吏事に不慣れで免相し病死。子の玄成が太常として継ぐも祠廟での不敬により奪爵し関内侯となる。
  • 平陵(范明友):家は隴西。外国事に通じた家系として西羌を護る任にあたり、昭帝に仕え度遼将軍として烏桓を撃った功で侯となり二千戸。霍光の娘を娶る。地節四年諸霍の禹らと謀反し族滅・国除。
  • 營平(趙充國):隴西の騎士として従軍し官を得、侍中として武帝に仕える。しばしば匈奴を撃った功で護軍都尉・侍中として昭帝に仕えた。昭帝崩御後、宣帝擁立の決疑定策に功あり侯となり二千五百戸。
  • 陽成(田延年):軍吏として昭帝に仕え、上官桀の謀反を発覚させたが遅れて封じられず大司農となる。昌邑王廃立を主導し宣帝擁立の決疑定策に功あり侯となり二千七百戸。昭帝崩御に伴う喪事の慌ただしさに乗じ都内の銭三千万を盗み、発覚して自殺し国除。
  • 平丘(王遷):家は衛。尚書郎として文書に通じ、侍中として昭帝に仕える。昭帝崩御後、宣帝擁立の決疑定策に功あり侯となり二千戸。光禄大夫として秩中二千石。諸侯王の金銭財物を受け取り中事を漏洩した罪で誅死し国除。
  • 樂成(霍山):大将軍霍光の兄の子。光が死の前に上書し「兄の驃騎将軍去病は従軍の功により景桓侯を賜ったが嗣なく絶えた。私の封地東武陽邑三千五百戸を分けて山に与えたい」と願い天子が許し山を侯とした。後に謀反に連座し族滅・国除。
  • 冠軍(霍雲):大将軍の兄驃騎将軍の嫡孫として侯となる。地節三年天子は詔書で「驃騎将軍去病は匈奴を撃った功で冠軍侯に封ぜられたが、子の代が病死し嗣なきに至った。春秋の義は善を子孫に及ぼすというので、邑三千戸をもって雲を冠軍侯に封ずる」とした。後に謀反に連座し族滅・国除。
  • 平恩(許廣漢):家は昌邑。事件に連座して蚕室に下され、一人娘を嫁がせた。宣帝がまだ即位前より広漢と親しく通じ、相者が大貴を占ったため広漢は厚く恩を施した。地節三年侯となり三千戸。病死し嗣なく国除。
  • 昌水(田廣明):もと郎として司馬に進み、南郡都尉・淮陽太守・鴻臚・左馮翊を歴任。昭帝崩御後、昌邑王廃立と宣帝擁立の決疑定策に功あり、本始三年侯となり二千三百戸、御史大夫となる。後に祁連将軍として匈奴を撃つも軍が期日に至らず死罪に当たり自殺し国除。
  • 高平(魏相):家は済陰。若くして易を学び府卒史となり賢良に挙げられ茂陵令、河南太守に遷るも人を殺傷した罪で下獄・死罪に当たるが赦されて庶人となる。詔により茂陵令に復し楊州刺史、諫議大夫、河南太守を経て大司農・御史大夫に遷る。地節三年韋賢を誹謗し代わって丞相となり千五百戸を封ぜられる。病死し長子賓が継ぐも祠廟の事で失侯。
  • 博望(許中翁):平恩侯許廣漢の弟として侯となり二千戸。旧恩もあり長楽衛尉となる。死後、子の延年が継いだ。
  • 樂平(許翁孫):平恩侯許廣漢の末弟として侯となり二千戸。彊弩将軍として西羌を撃破し、大司馬・光禄勲に遷る。旧恩もあって封を得たが酒色を好み早くに病死。子の湯が継いだ。
  • 將陵(史子回):宣帝の祖母の家として侯となり二千六百戸、平臺侯とは兄弟の間柄。妻の宜君はもと成王の孫で嫉妬深く侍婢四十余人を絞殺し婦人の胎児の腕・膝を切って媚薬とした罪で棄市されたが、子回は外家の縁で失侯しなかった。
  • 平臺(史子叔):宣帝の祖母の家として侯となり二千五百戸。衛太子の時、史氏の娘一人を太子に入れ、もう一人を魯王に嫁がせた縁で外戚として貴顕となり度々恩賞を受けた。
  • 樂陵(史子長):宣帝の祖母の家として貴顕となり侍中となる。重厚忠信で霍氏の謀反を発覚させた功により三千五百戸を封ぜられる。
  • 博成(張章):父はもと潁川の人で長安の亭長。失官し北闕に上書に赴き霍氏の邸宅に宿泊した際、馬小屋で厩の奴が霍氏子孫の謀反を語るのを聞き、上書して告発した功で侯となり三千戸。
  • 都成(金安上):もと匈奴の出。大将軍霍光の子禹らの謀反を発覚させた功で侯となり二千八百戸(秺侯の従子)。謹厚謙譲で功徳を子孫に伝えようとした。
  • 平通(楊惲):家は華陰。もと丞相楊敞の末子として郎に任じられる。士を好み人を見る目があり、高昌侯董忠に霍氏謀反の状を打ち明けられ共に発覚告発した功で侯となり二千戸、光禄勲となる。五鳳四年妖言の大逆罪で腰斬され国除。
  • 高昌(董忠):父はもと潁川陽翟の人で書に長け長安に至る。忠は材力あり騎射・短兵に長け期門に仕えた。張章と親しく霍禹謀反の状を聞き、常侍騎郎楊惲に語り共に発覚告発した功で侯となり二千戸。梟騎都尉・侍中となるも祠廟に小車で乗り入れた罪で百戸を奪われた。
  • 爰戚(趙成):楚国の謀反事件を発覚させた功で侯となり二千三百戸。地節元年楚王と広陵王の謀反を発覚させたが、天子は恩義を推し広げ広陵王を罪に問わなかった。後に呪詛の罪で滅国、自殺し国除。今の帝は改めて子を広陵王に立てた。
  • (建世):地節三年天子は詔書で「漢の興るや相国蕭何の功は第一であったが、今嗣なく絶えている。朕はこれを憐れみ、邑三千戸をもって蕭何の玄孫建世を酇侯に封ずる」とした。
  • 平昌(王長君):家は趙国常山廣望邑。衛太子の時、太子の男史皇孫に嫁ぎ男子を生んだが以後四十年ほど音信を絶っていた。元康元年に至り詔で徴され侯に立てられ五千戸を封ぜられる(宣帝の舅父)。
  • 樂昌(王稚君):家は趙国常山廣望邑。宣帝の舅父外家として侯となり五千戸(平昌侯王長君の弟)。
  • 邛成(王奉光):家は房陵。娘が宣帝皇后に立てられた縁で千五百戸を封ぜられる。奉光が生まれた夜、光がその上を照らしたとの言い伝えがあり、後に果たして娘の縁で侯となった。
  • 安遠(鄭吉):家は会稽。卒伍より従軍し郎となり渠梨で弛刑士の屯田を護った。匈奴単于が死し国が乱れた際、日逐王が衆を率いて降ろうとして吉に伝え、吉は吏卒数百人を率いて迎え、離反しようとする者の首謀者を斬って漢に帰順させた功で侯となり二千戸。
  • 博陽(邴吉):家は魯。もと獄事に通じ御史属として大将軍幕府に仕え、宣帝に旧恩を施し御史大夫に遷り侯となり二千戸。神爵二年魏相に代わり丞相となる。五年で病死。子の翁孟が将軍・侍中として継ぐも甘露元年祠廟で大車に乗らず騎馬で廟門に至った罪で奪爵し関内侯となる。
  • 建成(黃霸):家は陽夏。労役で雲陽に徙され、廉吏として河内守丞となり廷尉監・丞相長史事を行う。夏侯勝の詔書非難を知りながら通報せず不敬罪により三年下獄、獄中で勝に尚書を学ぶ。赦され賢良に挙げられ楊州刺史・潁川太守となる。善政により男女が道を分け耕者が畔を譲るほどで黄金百斤を賜り秩中二千石。潁川より入り太子太傅、御史大夫に遷り、五鳳三年邴吉に代わり丞相となる。千八百戸を封ぜられる。
  • 西平(于定國):家は東海。もと獄事に通じ廷尉史となり御史中丞に遷る。昌邑王を諫める上書をして光禄大夫に遷り廷尉となる。春秋を学び道を変じ謹厚に人を愛した。御史大夫に遷り黃霸に代わり丞相となった。

(右、孝宣時の封国)

元帝以後

  • 陽平(王稚君):家は魏郡。もと丞相史。娘が太子妃となり、太子が帝位に即くと娘は皇后となり、その縁で侯となり千二百戸。初元以来まさに盛んに貴顕を用い、京師に官を求めて仕えた者は多くその力を得たが、国家に広く知略を及ぼしたとは聞かない。