史記卷十九 惠景閒侯者年表
- 太史公は、封建の記録を便侯まで読んで言う。「理由あることだ」と。長沙王は、令甲に名を著され、その忠が称えられている。かつて高祖が天下を定めたとき、功臣で同姓でないのに王となった者は八国あった。孝惠の時に至って、ただ長沙のみが全うされ、五世にわたり伝わり、嗣なくして絶えたが、過失がなく藩屏としての職を守った。まことに信のある話である。それゆえその恩沢は傍系にまで及び、功なくして侯となった者も数人いた。孝惠から孝景に至る五十年の間に、高祖の時の遺功臣を追修し、代より従った者、呉楚討伐の功労者、諸侯の子弟や外戚、外国から帰順した者を合わせ、封じられた者は九十余人に及んだ。いずれも当世における仁義成功の顕著な事例として、その始終を表に著した。
孝惠時(前194~前188年CE)
- 便(呉淺):長沙王の子として二千戸を賜る。頃侯呉淺、恭侯信、侯廣志を経て、元鼎五年、侯千秋が酎金の罪で国除。
- 軑(利倉):長沙相として七百戸を賜る。侯利倉、侯豨、侯彭祖を経て、元封元年、侯秩が東海太守として無断で兵を動かした罪により斬に当たるも赦免、国除。
- 平都(劉到):斉将として高祖三年に降り斉平定に功あり千戸。孝侯劉到、侯成が後二年有罪国除。
(右、孝惠時三国)
高后時(前187~前180年CE)
- 扶柳(呂平):高后の姉長姁の子。侯呂平が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 郊(呂產):呂后の兄悼武王の少子。侯呂產が六年呂王となり国除、八年呂王として漢の相となり不善を図ったが大臣に誅され諸呂は滅んだ。
- 南宮(張買):父の張越人が高祖の騎将であった縁で大中大夫として侯となる。侯張買が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 梧(陽成延):軍匠として郟より従い漢に入り少府として長楽宮・未央宮を造営し長安城を築いて先んじた功で五百戸。齊侯陽成延、敬侯去疾、靖侯偃、侯戎奴が元狩五年季父を謀殺した罪で棄市され国除。
- 平定(齊受):卒として高祖に留より従い家車吏として漢に入り梟騎都尉として項籍を撃ち楼煩将を得た功、斉丞相として侯となる(一説に項涓という)。敬侯齊受、齊侯市人、恭侯應、康侯延居、侯昌が元鼎四年有罪国除。
- 博成(馮無擇):悼武王の郎中として高祖に豐より従い雍丘を攻め項籍を撃ち力戦し悼武王を滎陽から護衛した功侯。敬侯馮無擇、侯代が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 沛(呂種):呂后の兄康侯の少子として呂宣王の寝園を守った功侯。侯呂種が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 襄成(義):孝惠の子。侯義が二年常山王となり国除。
- 軹(朝):孝惠の子。侯朝が四年常山王となり国除。
- 壺關(武):孝惠の子。侯武が五年淮陽王となり国除。
- 沅陵(呉陽):長沙の嗣成王の子。頃侯呉陽、頃侯福、哀侯周を経て、後三年嗣なく薨じ国除。
- 上邳(劉郢客):楚元王の子。侯劉郢客が二年楚王となり国除。
- 朱虛(劉章):斉悼恵王の子。侯劉章が二年城陽王となり国除。
- 昌平(太):孝惠の子。侯太が七年呂王となり国除。
- 贅其(呂勝):呂后の甥として淮陽丞相の功で侯となる。侯呂勝が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 中邑(朱通):執矛として高祖に従い漢に入り中尉として曹咎を破った功、呂相として侯となり六百戸。貞侯朱通、侯悼が後三年有罪国除。
- 樂平(衛無擇):隊卒として高祖に沛より従い皇訢に属し郎として陳餘を撃ち衛尉として侯となり六百戸。簡侯衛無擇、恭侯勝、侯侈が建元六年不法な田宅取得の罪で国除。
- 山都(王恬開):高祖五年郎中柱下令として衛将軍として陳豨を撃ち梁相として侯となる。貞侯王恬開、惠侯中黃、敬侯觸龍、侯當が元封元年上林苑への不法侵入の罪で国除。
- 松茲(徐厲):兵初め舎人として沛より従い郎中として漢に入り雍王邯の家属を捕らえた功、常山丞相として侯となる。夷侯徐厲、康侯悼、侯偃が建元六年有罪国除。
- 成陶(周信):卒として高祖に單父より従い呂氏の舎人として呂后の淮の功を測り河南守として侯となり五百戸。夷侯周信、孝侯勃が十五年有罪国除。
- 俞(呂它):連敖として高祖に従い秦を破り漢に入り都尉として諸侯を定め朝陽侯に匹敵する功。嬰の死後、子の它が太中大夫として侯を継ぐ。侯呂它が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 滕(呂更始):舎人・郎中を十二年務め都尉として霸上に屯田した功、楚相として侯となる。侯呂更始が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 醴陵(越):卒として漢王二年櫟陽より初起し卒吏として項籍を撃ち河内都尉として長沙相の功で侯となり六百戸。侯越が四年有罪国除。
- 呂成(呂忿):呂后の甥。侯呂忿が八年呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 東牟(劉興居):斉悼恵王の子。侯劉興居が二年済北王となり国除。
- 錘(呂通):呂肅王の子。侯呂通が八年燕王となり呂氏の事件に連座し国除。
- 信都(張侈):張敖と魯元太后の子として侯となる。侯張侈が元年有罪国除。
- 樂昌(張受):張敖と魯元太后の子として侯となる。侯張受が元年有罪国除。
- 祝茲(呂榮):呂后の甥。侯呂榮が呂氏の事件に連座し誅され国除。
- 建陵(張澤):大謁者として侯となる。宦者で奇計に富んだ。侯張澤が九月に奪侯され国除。
- 東平(呂莊):燕王呂通の弟として侯となる。呂氏の事件に連座し誅され国除。
(右、高后時三十一国)
孝文時(前179~前157年CE)
- 陽信(劉揭):高祖十二年郎となり典客として趙王呂祿の印を奪い殿門を守り呂產らの侵入を防ぎ孝文擁立に功あり二千戸。侯劉揭、侯中意が六年有罪国除。
- 軹(薄昭):高祖十年郎となり従軍し十七年で太中大夫となり孝文を代より迎え、車騎将軍として太后を迎えた功で万戸(薄太后の弟)。侯薄昭、易侯戎奴、侯梁を経て継承。
- 壯武(宋昌):家吏として高祖に山東より従い都尉として滎陽を守り食邑を得、代の中尉として代王を勧め入朝させ驂乗して代邸に至り王が帝位に即いた功で千四百戸。侯宋昌が中四年奪侯国除。
- 清都(駟鈞):斉哀王の舅父として侯となる。侯駟鈞が前六年有罪国除。
- 周陽(趙兼):淮南厲王の舅父として侯となる。侯趙兼が前六年有罪国除。
- 樊(蔡兼):睢陽令として高祖に阿より初起し韓氏の子として北地を平定した功、常山相として侯となり千二百戸。侯蔡兼、康侯客、恭侯平、侯辟方が元鼎四年有罪国除。
- 管(劉罷軍):斉悼恵王の子。恭侯劉罷軍、侯戎奴が三年反乱し国除。
- 瓜丘(劉寧國):斉悼恵王の子。侯劉寧國、侯偃が三年反乱し国除。
- 營(劉信都):斉悼恵王の子。平侯劉信都、侯廣が三年反乱し国除。
- 楊虛(劉將廬):斉悼恵王の子。恭侯劉將廬が斉王となり有罪国除。
- 朸(劉辟光):斉悼恵王の子。侯劉辟光が済南王となり国除。
- 安都(劉志):斉悼恵王の子。侯劉志が済北王となり国除。
- 平昌(劉卬):斉悼恵王の子。侯劉卬が膠西王となり国除。
- 武城(劉賢):斉悼恵王の子。侯劉賢が菑川王となり国除。
- 白石(劉雄渠):斉悼恵王の子。侯劉雄渠が膠東王となり国除。
- 波陵(魏駟):陽陵君として侯となる。康侯魏駟が嗣なく薨じ国除。
- 南(起):信平君として侯となる。侯起が孝文時、後父の故により奪爵し関内侯となる。
- 阜陵(劉安):淮南厲王の子。侯劉安が淮南王となり国除。
- 安陽(勃):淮南厲王の子。侯勃が衡山王となり国除。
- 陽周(劉賜):淮南厲王の子。侯劉賜が廬江王となり国除。
- 東城(劉良):淮南厲王の子。哀侯劉良が嗣なく薨じ国除。
- 犁(召奴):斉相召平の子として千四百十戸。頃侯召奴、侯澤、侯延が元封六年馬を出さなかった罪で斬られ国除。
- 缾(孫單):北地都尉孫卬が匈奴の北地侵攻で戦死した功で子が侯となる。侯孫單が前三年謀反し国除。
- 弓高(韓頹當):匈奴の相国として降り、もと韓王信の庶子。千二百三十七戸。莊侯韓頹當、侯則が元朔五年嗣なく薨じ国除。
- 襄成(韓嬰):匈奴の相国として降り、もと韓王信の太子の子。千四百三十二戸。哀侯韓嬰、侯澤之が元朔四年詐病の不敬罪で国除。
- 故安(申屠嘉):孝文元年淮陽守として高祖入漢の功で五百戸を賜り、後に丞相として千七百十二戸。節侯申屠嘉、恭侯蔑、清安侯臾が元鼎元年九江太守として有罪国除。
- 章武(竇廣國):孝文后の弟として一万一千八百六十九戸。景侯竇廣國、恭侯完、侯常が元狩元年謀殺未遂の罪で国除。
- 南皮(竇彭祖):孝文后の兄竇長君の子として六千四百六十戸。侯竇彭祖、夷侯良、侯桑林が元鼎五年酎金の罪で国除。
(右、孝文時二十九国)
孝景時(前156~前141年CE)
- 平陸(劉禮):楚元王の子として三千二百六十七戸。侯劉禮が三年楚王となり国除。
- 休(富):楚元王の子。侯富は兄の子戎が楚王として反した際、家属と共に長安北闕に自首し帝に赦されたが、後に紅侯として改封された。
- 沈猶(劉穢):楚元王の子として千三百八十戸。夷侯劉穢、侯受が元狩五年宗正として宗室の管理を怠った罪で国除。
- 紅(富):楚元王の子として千七百五十戸。莊侯富(一に禮侯という)、悼侯澄、敬侯發、侯章が元朔五年嗣なく薨じ国除。
- 宛朐(劉埶):楚元王の子。侯劉埶が三年反乱し国除。
- 魏其(竇嬰):大将軍として滎陽に屯し呉楚七国を防いだ功で三千三百五十戸。侯竇嬰(建元元年丞相、二年で免)、元光四年灌夫を弁護し先帝の詔を偽ったとして棄市され国除。
- 棘樂(劉調):楚元王の子として千二百十三戸。敬侯劉調、恭侯應、侯慶が元鼎五年酎金の罪で国除。
- 俞(欒布):将軍として呉楚討伐で斉を撃った功。もと彭越の舎人で越の反乱時に斉に使いし梟された越を哭して忠言を述べ高祖に赦された。黥布討伐で都尉となり侯となり千八百戸。侯欒布、侯賁が元狩六年太常として犠牲不備の罪で国除。
- 建陵(衛綰):将軍として呉楚を撃った功、中尉として侯千三百十戸。敬侯衛綰、侯信が元鼎五年酎金の罪で国除。
- 建平(程嘉):将軍として呉楚を撃った功、江都相として侯三千百五十戸。哀侯程嘉、節侯橫、侯回が嗣なく薨じ国除。
- 平曲(公孫昆邪):将軍として呉楚を撃った功、隴西太守として侯三千二百二十戸(太僕公孫賀の父)。侯公孫昆邪が有罪国除。
- 江陽(蘇嘉):将軍として呉楚を撃った功、趙相として侯二千五百四十一戸。康侯蘇嘉、懿侯盧、侯明、侯雕が元鼎五年酎金の罪で国除。
- 遽(橫):趙相建德が王遂の反乱に従わず死事した功で子が侯千九百七十戸。侯橫が後二年有罪国除。
- 新市(王康):趙内史王慎が王遂の反乱に従わず死事した功で子が侯千十四戸。侯王康、殤侯始昌が元光四年人に殺され国除。
- 商陵(趙周):楚太傅趙夷吾が王戊の反乱に従わず死事した功で子が侯千四十五戸。侯趙周が元鼎五年丞相として酎金の不足を知りながら見逃した罪で下獄・自殺し国除。
- 山陽(張當居):楚相張尚が王戊の反乱に従わず死事した功で子が侯千百十四戸。侯張當居が元朔五年太常として博士の推挙を偽った罪で国除。
- 安陵(子軍):匈奴王として降り千五百十七戸。侯子軍が建元六年嗣なく薨じ国除。
- 垣(賜):匈奴王として降る。侯賜が六年死し嗣を得ず。
- 遒(隆彊):匈奴王として降り五千五百六十九戸。侯隆彊、後継の侯則が呪詛の大逆罪で国除。
- 容成(唯徐盧):匈奴王として降り七百戸。侯唯徐盧、康侯綽、侯光が後二年呪詛の罪で国除。
- 易(僕黥):匈奴王として降る。侯僕黥が嗣なく薨じ国除。
- 范陽(代):匈奴王として降り千百九十七戸。端侯代、懷侯德が嗣なく薨じ国除。
- 翕(邯鄲):匈奴王として降る。侯邯鄲が不敬の罪で国除。
- 亞谷(它父):匈奴東胡王として降り、もと燕王盧綰の子として千五百戸。簡侯它父、安侯種、康侯偏、侯賀が征和二年太子事件に連座し国除。
- 隆慮(蟜):長公主嫖の子として四千百二十六戸。侯蟜が元鼎元年母長公主の喪中の姦通で自殺し国除。
- 乘氏(買):梁孝王の子。侯買が梁王を嗣ぎ国除。
- 桓邑(明):梁孝王の子。侯明が済川王となり国除。
- 蓋(王信):孝景后の兄として二千八百九十戸。靖侯王信、侯偃が元鼎五年酎金の罪で国除。
- 塞(直不疑):御史大夫として呉楚討伐に前将兵の功、千四十六戸。侯直不疑、侯相如、侯堅が元鼎五年酎金の罪で国除。
- 武安(田蚡):孝景后の同母弟として八千二百十四戸。侯田蚡、侯梧が元朔三年宮中で不敬な衣を着た罪で国除。
- 周陽(田勝):孝景后の同母弟として六千二十六戸。懿侯田勝、侯彭祖が元狩二年宅地の授受をめぐる罪で国除。
(右、孝景時三十国)