春正月 圜丘祭祀
夏四月 杖刑運用の基準
- 法司が罪人を処断する際の杖刑について、常行杖で脊を一度折った場合は法定杖十に当て、臀を一度折った場合は笞五に当てる、という基準が定められた。
- これにより、吏が法を執行する際の目安を一定にしようとした。
冬十二月 元会中止と皇帝の憂慮
- 左補闕の趙璘は、来年の元会をやめ、宣政殿での簡略な儀礼にすべきだと請願した。
- 宰相たちは、元会は国家の大礼であり、天下も無事なのだから中止すべきではないと答えた。
- これに対し宣宗は、華州では賊が白昼に下邽を襲い、関中では雪も少なく、自分には憂いがあるのに、どうして無事と言えるのかと述べ、宣政殿での臨御すら行わない意向を示した。
鄭太后・鄭光への対応
- 宣宗は鄭太后に非常に慎み深く仕え、別宮に住ませず、朝夕みずから奉養した。
- 外舅の鄭光は平盧・河中節度使を歴任していたが、政務について皇帝が問うても見識が浅く、宣宗は満足しなかった。
- そのため右羽林統軍として朝請に列させるだけにし、太后がその貧しさを訴えるたびに金帛を厚く賜ったが、民政を司る官には復帰させなかった。
財政報告
- 河湟回復の後、度支は、天下の年間納入金銭は九百二十五万余緡で、その内訳は租税・酒税・塩利などであると報告した。