資治通鑑唐紀 德宗神武聖文皇帝 貞元 十七年 681年
春正月 韓全義の帰還と朝廷の取り繕い
- 韓全義が長安に到着した。宦官の竇文場は、前線での失敗を覆い隠すため、皇帝に厚遇させた。韓全義は足の病を理由に朝参を避け、司馬の崔放を入内させて、自らの失策を謝罪させた。皇帝は、呉少誠を討ち滅ぼせなくとも招撫の働きがあったとして、韓全義を強く責めなかった。
閏月・春 黔州の混乱
- 韋士宗は黔州に入ったのち、みだりに地方官を殺したため、人心が大いに動揺した。自らも恐れて三月に逃亡し、夏州へ落ち延びた。
- 四月、裴佶が黔州観察使に任じられた。
五月 楊朝晟の死と邠寧軍の動揺
- 五月朔、日食があった。
- 朔方・邠寧・慶の節度使楊朝晟が、防秋のため寧州に駐屯中に死去した。彼は臨終に際し、朔方軍の後継者を本軍からだけ選ぶのは国家の体裁にそぐわないとし、寧州刺史劉南金が軍事に通じるので、ひとまず軍務を代行させるのがよいと遺言し、監軍の劉英倩に書を託した。
- しかし軍中では、朝廷が他軍から将を送り込めば自分たちが排斥されると恐れる声が強く、朝廷の人事に反発する空気が高まった。
- 皇帝は中使を派遣して情勢を探らせ、さらに薛盈珍を勅使として派遣した。薛盈珍は、李朝寀を節度使、劉南金を副将とする意向を軍中に伝え、諸将は表向きこれに従った。
- だが都虞候の史経が、李朝寀が兵器を収めて精鋭を自派で固めようとしていると軍士に訴えると、不安が一気に広がった。夜、兵士らは劉南金を推そうとしたが、彼は天子の命でなければ受けられないと拒んだ。
- 兵士らは兵馬使高固を探し出して擁立しようとした。高固は、人を殺さず財物を掠めないことを条件に承知した。彼らは監軍に奏上を求めたが、劉南金が妨げになるとみて、偽って呼び出し、殺害した。
- その日に朝廷では李朝寀を邠寧節度使とする制書が出されたが、ほどなく寧州の変報が届いたため撤回され、薛盈珍が再派遣された。薛盈珍は軍中の意向を受け、高固に軍務を委ねる勅旨を伝えた。
- 一方、邠州の軍は李朝寀任命の制書が届いたという情報と、高固に軍務を任せる方針とが食い違ったため、進退に迷った。留後の孟子周は精兵を府廷に収容し、日々兵卒をもてなして内部をなだめ、外に対しては威圧を示し、邠州では変乱を起こさせなかった。
李錡の専横
- 李錡は塩鉄転運の利権を握って以来、献上品で皇帝の恩をつなぎ、贈賄で権貴と結んでいた。そのため極めて驕慢となり、官の財貨を盗用し、部下を罪なくして殺すことも相次いだ。
- 浙西の民崔善貞が上書して、宮市・進奉・塩鉄行政の弊害と、李錡の違法行為を訴えた。皇帝はこれを不快に思い、李錡のもとへ護送させた。
- 李錡は到着前から道ばたに穴を掘らせておき、崔善貞が来るとそのまま生き埋めにした。遠近の人々は震え上がった。
- 李錡はさらに自衛のため兵力を増し、強弓を引ける者を「挽強」、胡人・奚人系の者を「蕃落」として優遇した。転運判官の盧坦が幾度も諫めたが改めず、盧坦や李約らは去っていった。
六月以後 高固の任命と政局
- 高固が邠寧節度使に任じられた。彼は古参の将で、以前は主将に疎まれて閑職に置かれていたが、人望は厚かった。就任後も私怨で報復せず、そのため軍中は安定した。
- 成徳節度使王武俊が死去した。
秋七月 吐蕃の侵攻
- 吐蕃が塩州に侵入した。
- 王武俊の後任として、節度副使王士真が成徳節度使に任じられた。
- 吐蕃は麟州を陥落させ、刺史郭鋒を殺し、城郭を破壊し、住民や党項諸部を掠奪して去った。郭鋒は郭曜の子であった。
- 僧の延素が捕虜となったが、吐蕃側の将で「徐舎人」と呼ばれる人物が、自らを李勣の後裔で、武后の時に一族が辺境へ散った家系だと語り、故国を思う心は忘れていないとして、延素を帰国させた。
西南方面 韋皋の吐蕃攻撃
- 皇帝は韋皋に深入りして吐蕃を攻め、北辺への圧力を分散させるよう命じた。韋皋は二万の兵を九道に分け、維州・保州・松州および棲鶏城・老翁城を攻めた。
河東節度使鄭儋の急死
- 河東節度使鄭儋が急死し、後事を定めないまま軍中が騒然となった。夜中、武装した十数騎が掌書記令狐楚を軍門に呼び出し、諸将の囲む中で遺表を書かせた。令狐楚は白刃の間でたちまち書き上げた。
八月以後 諸将の交代
- 嚴綬が河東節度使に任じられた。
九月・冬十月 韋皋の大捷
- 韋皋は雅州で吐蕃を大破した。
- 左神策中尉の竇文場が退き、その副使楊志廉が後任となった。
- 韋皋はたびたび吐蕃を破り、千里にわたって転戦し、城・軍鎮・堡塁を多数攻略・焼き払い、首級一万余、捕虜六千、降戸三千を得て、さらに維州と昆明城を包囲した。
- 皇帝は韋皋に司徒・中書令を加え、南康郡王に封じた。南詔王異牟尋も多くの捕虜や戦利を得たため、中使を派遣して慰撫した。
- しかし塩州刺史杜彦先は吐蕃の圧迫に耐えられず、塩州を捨てて慶州へ逃れた。