資治通鑑唐紀二十三 中宗大和大聖大昭孝皇帝 神龍 元年 705年
正月壬午 改元・大赦
- 朔日に大赦が行われ、改元して神龍元年となった。
- 文明以来、罪を得た者の多くは、揚州・豫州・博州関係や反逆の首魁を除いて赦免された。
張易之・張昌宗誅殺の計画
- 太后の病は重く、張易之・張昌宗が宮中で権力を握っていた。
- 張柬之・崔玄暐・敬暉・桓彦範・袁恕己らは、二張誅殺を謀った。
- 張柬之は右羽林衛大将軍李多祚に対し、今日の富貴は大帝、すなわち高宗の恩によるのだと説き、その子が二人の小人に危うくされている今こそ報恩すべきだと迫った。
- 李多祚は涙を流して同意し、国家に利あらば身命妻子を顧みないと誓った。
- 張柬之は以前、荊州長史楊元琰と江上で武周革命について語り、匡復の志を共有していたので、のちに右羽林将軍として引き立てていた。
- また、桓彦範・敬暉・李湛らを左右羽林将軍に起用し、禁兵を委ねて準備を整えた。
- 張易之らは一時疑ったが、武攸宜を右羽林大将軍に入れたため安心してしまった。
- 姚元之が霊武から帰着すると、張柬之らは事は成ると判断し、その計画を打ち明けた。
- 桓彦範が母に相談すると、母は忠孝は両立しがたく、まず国を先にすべきだと勧めた。
癸卯 玄武門の変
- 太子は当時、北門から太后のもとへ起居に通っていた。
- 桓彦範と敬暉は太子に密かに策を告げ、太子もこれを許した。
- 癸卯、張柬之・崔玄暐・桓彦範らは、薛思行らとともに左右羽林兵五百余人を率いて玄武門に至った。
- 李多祚・李湛・王同皎らが東宮に赴いて太子を迎えたが、太子は最初ためらって出なかった。
- 王同皎は、先帝は神器を殿下に託したのに、横に廃されてから二十三年、人神ともに憤っている、今こそ北門と南牙が心を一つにして李氏社稷を復すのだと説いた。
- 太子は、逆臣の誅滅は当然だが、太后の病身を驚かせるのではと危ぶんだ。
- 李湛は、諸将相は家族を顧みず社稷に殉じようとしているのに、ここで退けば自分たちを鼎鑊に投じることになると迫った。
- そこで太子は出馬し、王同皎に扶けられて玄武門へ行き、門を破って入った。
長生殿での対決
- 太后は迎仙宮にいた。張柬之らはまず張易之・張昌宗を廊下の下で斬った。
- そのまま長生殿に進んで太后の侍衛を包囲した。太后が「乱を起こしたのは誰か」と問うと、臣らは二張が謀反したため、太子の命を奉じて誅したのだと答えた。
- 太后が太子を見て「お前か。小者どもは誅したのだから東宮へ戻れ」と言うと、桓彦範が進み出て、太子が再び東宮へ帰ることはありえない、高宗は愛子を太后に託し、いまや年も長じ、人心も天意も李氏を思っている、ゆえに群臣は太子を奉じて賊臣を誅したのだと述べ、皇位を太子に譲るよう求めた。
- 太后は李湛を見て、汝の父子には薄くなかったのにこうするのかと責め、李湛は恥じて言葉がなかった。
- 崔玄暐にも、自分で抜擢したのにお前まで加わるのかと問うたが、崔玄暐は、それこそ大恩に報いる道だと答えた。
張氏一族の処刑と監国
- 張昌期・張同休・張昌儀も捕らえられて斬られ、易之・昌宗とともに天津橋南で梟首された。
- 袁恕己は相王とともに南牙兵を統べて不測に備えた。
- 韋承慶・房融・崔神慶ら、張易之の党与も収監された。
- 以前、張昌儀の新邸の門に「一日の糸で何日の楽しみを編めるか」という趣旨の落書きが何度もされ、彼が「一日でも足りる」と書き返した逸話があったが、その通り短い栄華に終わった。
甲辰から乙巳 監国・即位
- 甲辰、太子が監国となり、天下に赦が行われた。
- 袁恕己が同平章事となり、十道に使者が遣わされて璽書をもって諸州を慰撫した。
- 乙巳、太后は太子に位を譲った。
- 丙午、中宗が即位し、天下に大赦した。ただし張易之の党だけは赦さなかった。
- 周興らによって冤枉された者はすべて清雪され、配没された子女も解放された。
- 相王には安国相王の号が加えられ、太尉・同鳳閣鸞台三品となった。
- 太平公主には鎮国太平公主の号が加えられた。
- 以前に配没された皇族の子孫も籍に復し、能力に応じて官爵が授けられた。
太后の移居と新政権の賞勲
- 丁未、太后は上陽宮へ移された。
- 李湛は宿衛に留まった。
- 戊申、中宗は百官を率いて上陽宮に赴き、太后に「則天大聖皇帝」の尊号を上った。
- 庚戌、張柬之は夏官尚書同鳳閣鸞台三品、崔玄暐は内史、袁恕己は同鳳閣鸞台三品、敬暉・桓彦範はともに納言となり、いずれも郡公に封じられた。
- 李多祚は遼陽郡王、王同皎は右千牛将軍琅邪郡公、李湛は右羽林大将軍趙国公となり、そのほかの功臣にも差等ある褒賞が与えられた。
玄武門守備の田帰道
- 張柬之らが挙兵したとき、殿中監の田帰道は千騎を率いて玄武門に宿衛していた。
- 敬暉は使者を送って千騎の引き渡しを求めたが、田帰道は事前に計画を知らされていなかったため、応じなかった。
- 事後、敬暉は彼を誅そうとしたが、田帰道が道理をもって自ら弁明したため許された。
- 帝はその忠壮を嘉し、太僕少卿に任じた。