資治通鑑隋紀二 高祖文皇帝 開皇 十六年 596年
正月 皇孫の封建
- 文帝は皇孫の楊裕を平原王、楊筠を安成王、楊嶷を安平王、楊恪を襄城王、楊該を高陽王、楊韶を建安王、楊煚を潁川王に封じた。いずれも秦王楊勇ではなく、ここでは勇の子らであるとされる記事構成になっている。
夏六月 工商の仕進禁止
- 商工業者が官途に進むことを初めて禁じた。
秋八月 死刑執行の手続強化
- 死刑を執行する際は三度上奏してから行うよう命じた。
冬 長春宮行幸と会州の党項
- 十月、長春宮へ行幸した。
- 十一月、長安へ帰還した。
- 党項が会州に侵入したため、隴西の兵を発して討伐し、これを降した。
吐谷渾との関係
- 光化公主を吐谷渾可汗の世伏に嫁がせていたが、世伏は公主を「天后」と称したいと求めた。文帝はこれを許さなかった。