資治通鑑梁紀 高祖武皇帝 天監 十二年 513年

春正月・二月 人事

  • 正月辛卯、武帝は南郊を祀って大赦した。
  • 二月辛酉、兼尚書右僕射の袁昂を正式に右僕射とした。
  • 己卯、北魏では高陽王雍が太保に進んだ。

二月 郁洲で張稷が殺される

  • 郁洲は北魏領に近く、住民の中にはひそかに魏人と交易し、朐山の乱でも裏で北魏と通じる者がいた。
  • 青・冀二州刺史の張稷は失意のままで、政令もゆるみ、属僚にも収奪が目立った。
  • 庚辰、郁洲の民・徐道角らが夜襲で州城に入り、張稷を殺してその首を北魏へ送った。
  • 北魏は前南兗州刺史の樊魯に兵を与えて赴かせた。

二月 北魏の飢饉と郁洲出兵への反対

  • この頃、北魏では飢えて死ぬ民が数万に及んだ。
  • 侍中の游肇は再び進言し、朐山も海辺で無用、郁洲は海中にあっていっそう無益であり、しかも梁には海路上の要地で近いが、魏には遠くて兵站負担が重い、飢饉の年には静養こそ必要で、軍事行動は損ばかり大きいと諫めた。
  • それでも北魏主は従わず、平西将軍の奚康生を派遣して迎え取らせようとした。
  • だが出発前に、梁の北兗州刺史・康絢が司馬の霍奉伯に命じて徐道角らを討ち平らげた。

二月 太極殿新築と沈約失寵

  • 辛巳、新たに太極殿が完成した。
  • 武帝はしばしば侍中や学士に策問を出したが、ある時、沈約とともに答えたところ、沈約の提出した項目が自分より少なかった。
  • 沈約は退出後、「あの方は前に出られないよう守っているのだ。もしそうでなければ恥じて死ぬはずだ」と人に語った。武帝はこれを聞いて怒り、徐勉の諫止でようやく処罰を思いとどまった。
  • 武帝はもとより張稷を憎んでおり、たまたま沈約と張稷のことを話すと、沈約は「左僕射が外州に出たのはもう過去のことです。今さら言うことではありません」とかばった。
  • 武帝は沈約が張稷の姻戚であるため互いに肩入れしていると見て、「それでも忠臣か」と激怒した。
  • 沈約は大いに恐れ、帰宅途中に倒れて病となり、夢の中で斉の和帝に舌を斬られると見た。
  • 道士に命じて赤章を天に奏上し、禅代が自分の本意ではないことを訴えさせたが、その報告を受けた武帝はいっそう怒り、使者を重ねて譴責した。
  • 閏月乙丑、沈約は不安のうちに死んだ。諡は当初「文」とされたが、武帝は「情懐不尽は隠」として「隠侯」に改めた。

夏五月 寿陽の大水と李崇の守城

  • 五月、寿陽で長雨が続き、大水が城中に入り、民家はすべて水没した。北魏揚州刺史の李崇は兵を率いて城上に留まり、水位がさらに上がると船を女牆に繋いで持ちこたえた。
  • 城で水没しなかった高さは板二枚分ほどしかなかった。
  • 将佐たちは寿陽を捨てて北山へ保つよう勧めたが、李崇は、ここを動けば淮南一帯が瓦解して魏の土地でなくなる、王尊の故事に背いて身を惜しむことはできない、と拒み、士民とともに城没を覚悟した。
  • ただし、民の無辜の死を憐れみ、高地へ逃れるための筏作りは許した。

五月―六月 裴絢の離叛と自殺

  • 揚州治中の裴絢は、城南の民数千家を率いて舟で南の高地へ逃れ、李崇は北へ帰ったと思い込み、自ら豫州刺史を称した。
  • 別駕の鄭祖起らとともに人質を送って梁へ降ろうとしたため、馬仙琕は兵を送った。
  • 李崇は裴絢の真意を測れず、国侍郎の韓方興を単舸で呼びにやった。裴絢は、もとは大水で民に推されたにすぎないが、もはや後戻りはできず、民も吏も李崇の手には戻らないと答えた。
  • 李崇は従弟の李神らに水軍を率いさせてこれを討たせ、裴絢は敗れて逃走したが、村民に捕えられた。尉升湖に至ると「何の顔で李公に会えるか」と言って入水自殺した。
  • 鄭祖起らは処刑された。裴絢は裴叔業の兄の孫である。

李崇の評価

  • 李崇は水害の責任をとって辞任を願い出たが、北魏主は許さなかった。
  • 彼は沈着で寛厚、方略があり、寿春で長く兵を養って敵をしりぞけたので、隣敵から「臥虎」と呼ばれた。
  • 梁はたびたび離間策を用い、車騎大将軍・開府儀同三司・万戸郡公などの厚い条件で誘ったが、北魏主はその忠誠を深く信じて疑わなかった。

六月・八月 太廟新築と北魏の天変

  • 六月癸巳、新しい太廟が完成した。
  • 秋八月戊午、臨川王蕭宏が再び司空となった。
  • 北魏では恒州・肆州で地震と山鳴りが起こり、一年を越えて続いた。民家の倒壊による死傷も多く、のちの北辺大乱の前兆とみられた。

秋 北魏太子教育

  • 北魏主が東宮に行幸した際、中書監の崔光を太子少傅に命じ、太子に拝礼させた。
  • 崔光は辞退したが許されず、太子は南面して再拝した。詹事の王顕は宮臣にも太子に従って拝礼させるよう求めた。
  • 崔光は北面して立ち、拝を受けることを恐れて答礼せず、西面して謝して退出した。