資治通鑑晉紀二十三 海西公上 太和 元年 366年

春三月 司馬勲平定と前燕の補政継続

  • 荊州刺史桓豁は督護桓羆に南鄭を攻めさせ、司馬勲討伐を進めた。
  • 前燕では太宰慕容恪と太傅慕容評が、そろって帰政を願い出て自邸へ退くことを求めたが、慕容暐は許さなかった。

五月 皇后の死と司馬勲の滅亡

  • 皇后庾氏が死去した。
  • 朱序・周楚は司馬勲を破り、司馬勲とその党与を捕えて桓温のもとへ送った。桓温は皆を斬り、その首を建康へ送った。

秋七月〜八月 秦の南侵

  • 代王什翼犍は左長史燕鳳を秦へ入貢させた。
  • 七月、庾皇后は敬平陵に葬られた。
  • 秦では王猛・楊安・姚萇ら二万人が荊州へ侵攻し、南郷郡を攻めた。
  • 荊州刺史桓豁はこれを救い、八月に新野へ進軍した。
  • 秦軍は漢水北方の民一万余戸を掠めて撤退した。

秋九月〜冬十月 晋の特典授与と涼の対秦断交

  • 九月、梁州・益州に曲赦が行われ、司馬勲に従った者のうち、脅迫や従属による者も赦された。
  • 十月、司徒司馬昱は丞相・録尚書事となり、入朝の際に小走りすることも、奏者が名を呼ぶこともなく、剣を帯び履物のまま殿上に上る特権を与えられた。
  • 張天錫は使者を秦との境に送り、秦との関係断絶を通告した。

前燕の南略と隴西情勢

  • 前燕の下邳王慕容厲は兗州へ侵攻し、魯・高平など数郡を抜いて守宰を置き、帰還した。
  • もと秦へ降っていた隴西の李儼は、その後また張天錫と通じるようになった。
  • 十二月、羌の歛岐が略陽四千家を率いて秦に叛き、李儼に臣従した。李儼はこれに牧守を置き、秦・涼の往来は断たれた。

宛の争奪と庾希失勢の前触れ

  • 南陽督護趙億が宛城を挙げて前燕へ降り、太守桓澹は新野へ逃れた。
  • 前燕は趙盤を魯陽から宛へ駐屯させた。
  • 徐兗二州刺史庾希は外戚として兄弟ともども顕貴であったため、桓温に忌まれていた。