資治通鑑晉紀四 孝惠皇帝上之上 元康 五年 295年
水害
- 夏六月、東海で雹が降り、深さ五寸に達した。
- 荊・揚・兗・豫・青・徐の六州で大水が起こった。
武庫の火災
- 冬十月、武庫が炎上し、累代の宝物と二百万分の兵器が焼失した。
- 十二月丙戌、新たに武庫を造り、兵器の大規模な徴発を行った。
拓拔禄官の三部分治
- 拓拔禄官は国を三部に分けた。自らは上谷北方の濡源西方に拠り、兄の子猗㐌には代郡参合陂北方を、猗㐌の弟猗盧には定襄の盛楽故城を治めさせた。
- 猗盧は用兵に巧みで、西方の匈奴・烏桓諸部を撃破した。
- 代地の衛操・衛雄叔姪、箕澹ら晋人が拓拔氏のもとに身を寄せ、猗㐌に晋人招納を勧めた。猗㐌はこれを喜んで国事を委ねたため、晋人の帰附が次第に増えた。胡注は、中華の人々が早くから塞外へ去ること自体、晋の政治の乱れを示すと評している。