資治通鑑晉紀三 世祖武皇帝 太康七年 286年

春正月 日食と魏舒の辞職

  • 甲寅朔、日食があった。
  • 魏舒は病を称して強く辞職を願い、劇陽子のまま退いた。
  • 魏舒は何事もまず実行してから語る人物で、辞位の際も人々はほとんど気づかなかった。
  • 衛瓘は魏舒に書を送り、かねてから自分も同じことを相談していたのに果たせず、あなたは先に行ってしまった、と惜しんだ。

夏 扶余復国

  • 慕容廆が遼東を侵したため、旧扶余王依慮の子・依羅は、生存者を率いて旧国回復を望み、東夷校尉の何龕に援助を求めた。
  • 何龕は督護の賈沈に兵を率いさせてこれを送らせた。
  • 慕容廆は将の孫丁に騎兵を率いさせて途中で邀撃させたが、賈沈は力戦して孫丁を斬り、扶余を復興させた。

秋 雍州に匈奴諸部が降る

  • 匈奴胡の都大博と萎莎胡が、それぞれ種落十万余口を率いて雍州に降った。

九月・冬十一月 王族の死と隴西王泰

  • 九月戊寅、扶風武王司馬駿が死んだ。
  • 冬十一月壬子、隴西王司馬泰を都督関中諸軍事とした。司馬泰は宣帝の弟・司馬馗の子である。

鮮卑拓跋部

  • この年、鮮卑の拓跋悉鹿が死に、弟の綽が立った。
  • 太康年間以降、慕容部・拓跋部はいずれも日に日に強盛となっていった。