資治通鑑魏紀九 元皇帝上 景元 二年 260年

春正月 黄龍出現と帝の不吉視

  • 正月、黄龍が寧陵の井中に二たび現れた。
  • これ以前から、頓丘・冠軍・陽夏などの井にもたびたび龍が現れていた。
  • 群臣はこれを吉祥としたが、皇帝は、龍は本来君徳の象徴であり、天にも田にもおらずたびたび井に屈して現れるのはよい兆しではない、と言った。
  • そして『潜龍詩』を作って自らを戒めた。
  • 司馬昭はこれを見て不快に思った。胡三省は、帝には司馬昭誅殺の志があったが、うまく隠すことができず、鬱憤を文章に表したことも、結局は権臣の手に死ぬ一因だったと評する。

夏六月〜秋八月 蜀漢の王封と陳祗の死

  • 六月、京陵穆侯王昶が死去した。
  • 蜀漢では、漢主が子の諶を北地王、詢を新興王、虔を上党王に封じた。
  • 尚書令陳祗は巧みに媚びることで漢主の寵を受けており、姜維は官位では上でも、外征が多く朝政に近づけず、実権は陳祗に及ばなかった。
  • 八月丙子、陳祗が死ぬと、董厥が尚書令、諸葛瞻が僕射となった。

冬十一月 孫壱の死

  • 十一月、車騎将軍孫壱は婢に殺された。孫壱は景元元年に魏へ来降して厚遇されていた人物である。

年末 王基の転任

  • この年、王基は征南将軍・都督荊州諸軍事となった。荊州方面は二つの都督に分けられ、王基は新野、州泰は襄陽を受け持った。