資治通鑑漢紀四十五 孝桓皇帝 永寿 二年 156年

西南夷の反乱

  • 春三月、蜀郡属国の夷が反乱した。

鮮卑檀石槐の台頭

  • もとより鮮卑の檀石槐は勇敢で知略があり、部落から畏服されて大人に推されていた。
  • 法令を整え、公平に曲直を裁いたため違犯する者がなく、東西の大人もみな帰属した。
  • その本営を弾汗山・歠仇水のほとりに置き、高柳の北三百余里に拠った。
  • 南は辺境を抄掠し、北は丁零を防ぎ、東は夫余を退け、西は烏孫を攻め、ついには匈奴の旧地をほぼすべて掌握した。勢力は東西一万四千余里に及んだ。

李膺の度遼将軍就任

  • 秋七月、檀石槐が雲中に侵入したため、旧烏桓校尉李膺が度遼将軍に任じられた。
  • 李膺が辺境に到着すると、羌胡はその名声を恐れ、以前に奪った男女を自ら塞下まで送還した。

東方群盗の平定

  • 公孫挙・東郭竇らは三万人にまで勢力を広げ、青・兗・徐三州で郡県を破壊し、長年討っても平定できなかった。
  • 尚書は治劇の才ある者を求め、司徒掾韓韶を嬴県の長に任じた。
  • 賊は韓韶の賢名を聞き、互いに戒めて嬴県には入らなかった。
  • 他県から流民一万余戸が嬴県に流れ込むと、韓韶は倉を開いて救済した。倉吏が反対しても、民を溝や谷で死なせるよりは罪を受けて笑って地下へ行く方がよいと言い切った。
  • 太守は韓韶の徳を知っていたため、ついにこれを罪しなかった。
  • 韓韶は荀淑・鍾皓・陳寔とともに「潁川四長」と呼ばれた。

段熲の機略と抜擢

  • 以前、鮮卑が遼東を侵した際、属国都尉段熲は急行して迎撃した。
  • 賊を逃がさぬため、道中で偽の璽書を持たせて自分を召還するよう見せかけ、退くふりをして伏兵を置いたところ、賊が追ってきたので一挙に討ち取った。
  • 偽詔作成は本来重罪だったが、功により司寇刑にとどめられ、議郎に任じられた。
  • この年、東方の賊がなお盛んであったため、公卿に文武の将を選ばせたところ、司徒尹頌が段熲を推薦した。
  • 段熲は中郎将となって公孫挙・東郭竇らを大破し、一万余級を斬獲した。残党も降散し、列侯に封じられた。

地震と梁氏一族への封侯

  • 冬十二月、地震があった。
  • 梁不疑の子馬を潁陰侯に、梁祧の子桃を城父侯に封じた。