資治通鑑漢紀四十五 孝桓皇帝 永寿 一年 155年
改元と劉陶の上疏
- 春正月戊申、天下に大赦があり、元号を永寿と改めた。
- 二月、司隷・冀州で飢饉が起こり、人肉を食う事態にまで至った。
- 太学生劉陶は上疏し、天子が夏殷の亡国の教訓にも耳を貸さず、外戚や宦官に国柄を委ねた結果、民は死しても生きても苦しんでいると痛烈に論じた。
- さらに、秦末や哀帝・平帝期の失敗を引き合いに出し、朱穆や李膺のような正直な人物を朝廷に復帰させて王室を補佐させるべきだと求めたが、帝は省みなかった。
水害・山崩れと三公交代
- 夏、南陽で大水が起きた。
- 司空房植が罷免され、太常韓縯が司空となった。
- 巴郡・益州郡で山崩れがあった。
南匈奴・東羌の反乱と張奐
- 秋、南匈奴左薁鞬台耆・且渠伯徳らが反乱し、美稷を侵した。
- 東羌も再び各種族がこれに呼応した。
- 安定属国都尉張奐は着任して間もなく、わずかな兵しかなかったが、ためらわず出撃し、長城に進屯して兵を集めた。
- 王衛を派遣して東羌を誘い、龜兹県を拠点として南匈奴との連絡を断ったため、東羌の豪族たちは張奐と協力して薁鞬らを撃破した。
- 伯徳は恐れて降伏し、羌の豪族たちは馬二十匹と金鐻八枚を贈ったが、張奐は酒を地に注いで、自分は馬も金も私さないと誓い、すべて返した。
- それまでの都尉たちは財貨を好み羌に苦しめられていたが、張奐は廉潔だったため、異民族も心服し、その威徳は大いに行き渡った。