資治通鑑漢紀四十五 孝桓皇帝 元嘉 二年 152年
西域長史王敬の失敗と于窴の変
- 春正月、西域長史王敬が于窴に殺された。
- もとは前任の西域長史趙評が于窴で病死したが、拘弥王成国がその死を于窴王建の毒殺だと評の子に吹き込み、敦煌太守馬達にもそう伝えさせた。
- 王敬が後任として赴くと、成国はさらに、于窴の人々は自分を王に立てたがっているから、この機会に建を誅すればよいとそそのかした。
- 王敬は功を欲して于窴に着くと宴席を設け、建を招いてひそかに捕らえようとした。吏士は殺意が薄かったが、成国の主簿秦牧が進み出て建を斬った。
- これに対し、于窴側の将たちは兵を集めて王敬を攻め、王敬は建の首を掲げて天子の命だと弁明したものの、聞き入れられず楼上で斬られ、首は市にさらされた。
- 将の輸僰が自立したが、国人はこれも殺して建の子安国を立てた。
- 馬達は討伐を望んだが、帝は許さず、宋亮が敦煌太守として派遣された。
- 宋亮は于窴に輸僰を斬らせる方策をとり、于窴側はすでに死んでいた輸僰の首を送ってごまかした。宋亮は後で偽りと知ったが、結局討てなかった。
匽太后の崩御
- 丙辰、京師で地震が起きた。
- 夏四月、孝崇皇后匽氏が崩じた。
- 帝弟の平原王石が喪主となり、斂送の制度は恭懐皇后にならった。
- 五月辛卯、博陵に葬られた。
災異と三公の交代
- 秋七月、日食があった。
- 冬十月、京師で地震があった。
- 十一月、司空黄瓊が罷免された。
- 十二月、特進趙戒が司空となった。