資治通鑑漢紀四十四 孝順皇帝 漢安 二年 143年
羌戦・南匈奴単于冊立
- 夏四月庚戌、護羌校尉の趙冲と漢陽太守の張貢が参䜌で焼何羌を破った。
- 六月丙寅、南匈奴の守義王兠楼儲が呼蘭若尸逐就単于に立てられた。吾斯・車紐の乱以来、長く空位だった単于位がここでようやく補われた。
- 兠楼儲は当時京師におり、皇帝は自ら殿上で璽綬を授け、車馬・器服・金帛を厚く賜った。
- さらに太常・大鴻臚に命じ、諸国の侍子とともに広陽門外で祖道の宴を行い、角抵や百戯を催して送った。
趙冲・馬寔・黄瓊
- 冬閏十月、趙冲が阿陽で焼当羌を破った。
- 十一月、使匈奴中郎将の馬寔が人を遣わして句龍吾斯を刺殺した。
- 涼州では九月以来、百八十回もの地震が続き、山谷は裂け、城寺が崩れ、人々の圧死も多かった。
- 尚書令の黄瓊は、かつて左雄が孝廉選挙で儒学・文吏を重んじた結果、人物評価に偏りがあるとし、孝悌と能く政事に従う者を加えて四科とするよう奏上し、皇帝はこれを認めた。